事件の発覚と逃亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/22 00:17 UTC 版)
「豊橋連続保険金殺人事件」の記事における「事件の発覚と逃亡」の解説
1978年8月、警視庁が詐欺常習犯を取調べしたところ、豊橋の運送会社の社長に保険をかけられ殺されそうになったと容疑に関係ない供述をした。警視庁が愛知県警察に照会したところ該当者がいることが判明、内偵を進めていた。 内偵中に、バーの女主人が1978年12月に焼死した。バーの開店資金はAが出していた上、その店が燃え保険金1億8千万円の受取人がAの妹であるなど、不審なことは明白であった。そのため捜査機関は証拠が固まった関係者から検挙していったが、そうしたなか首謀者2人は捜査が迫っていることを知り1979年4月に海外逃亡した。 2人は以前買春ツアーで知り合った台湾人暴力団員の伝手で台湾に向かい、その台湾人の手引きで南米パラグアイの首都アスンシオンに向った。この台湾人に支払った為か2人が逃亡時に所持していた2億3千万円が、パラグアイ入国時には3千万円と激減しており2億円近く費消していた。そのうえパラグアイの協力者もブラジルにいる協力者に2人をたらいまわしにされた。 こうして2人はブラジルのサンパウロに入国したが、日本の捜査機関が足取りを掴んでいた。しかしブラジルと日本の間には犯罪者引渡し協定がないため、ブラジル政府に身柄確保の依頼と強制送還を依頼した。この事が報道され日系ブラジル人社会から「日本人の恥さらし」と非難されたことから、身の危険を感じた協力者は2人をアマゾンの奥地に逃亡させたが、一方裏切って警察に居場所を密告した。1979年5月2日にブラジル警察は潜伏先にいる2人を急襲し問答無用で射殺した。Aは40歳、Bは35歳であった。
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