主な名所・旧跡
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「二川村 (岡山県)」の記事における「主な名所・旧跡」の解説
熊野神社(粟谷)-1657年以前の創建とされ、1666年(寛文6年)再建と記録されている。 芦雄神社(粟谷)-足の病を治してくれるという信仰があり、年間数千人が訪れたとされる。ただ第二次世界大戦以降、その信仰は途絶えている。 黒杭神社(黒杭)-ダム建設による水没がすぐ近くまで迫るも、水没を免れた。 田根神社(種)-かつては「波上神社」と呼ばれていた。田根神社で行われる警護行列は1858年(安政5年)頃に始まったとされる。 建部神社(藤森)-1911年(明治44年)小童谷村にあった佐山神社が合祀されている。 大林寺(黒杭)-1582年に禅師辰学和尚を迎えて曹洞宗大林寺を創建。1854年(嘉永7年)と1855年(安政2年)に大火災に見舞われ、当時の寺院は焼失している。境内には山中一揆の犠牲者の大供養塔と供養のための大石地蔵の立像がある。 飯山城跡(黒杭)-城主は毛利軍の武将杉原盛重だったが、宇喜多氏に敗れる。
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主な名所・旧跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 23:36 UTC 版)
福圓寺-本山は、仁和寺。真言宗御室派の寺院であり、仁和寺領時代の政所でもあった。また社地域唯一の寺院である。ただ江戸時代末期、火災により仏像や文献資料などが焼失している。 大御堂-創建は、1185年(寿永4年)とされるが、定かではない。平安時代に式内社の神宮寺として建立されたとする説もある。この場所で毎年7月、地元住民が集まって大きな数珠をまわす「百万遍数珠回し」が行われている。1948年(昭和23年)から3年ほどかけて茅を葺きなおしたが、現在はトタンが被せられている。2018年に実施された測定で、部材の一部が平安時代後期に伐採されたものであることがわかっている。 神集場-祭りの際に、式内八社の各神が一堂に集まる場所とされている。特に毎年10月9日に行われる秋祭りでは、県社(佐波良神社・形部神社)と二宮、横見神社それぞれの神輿が神集場を目指し、祭礼が行われている。 八畳岩-高さおよそ6m、周囲およそ37mある巨岩。花崗岩であり、その大きさから八畳岩と呼ばれている。ただ実際には八畳以上の大きさがある。 田井城-築城の年は不明。ただ戦国時代の山城だったのではないかとする説がある。遺構の状態や地形から考えて、田井城の東側にある佐波良神社や形部神社を守るための城だと言われている。 唐戸の名水-県道56線沿いにある水汲み場。 佐波良の大杉-佐波良・形部神社の境内にある県下5番目の巨樹。樹齢は推定900年と言われており、地元からは「千年杉」と呼ばれている。周囲が約8.8m、樹高は約43m。 神馬神座跡-本谷の集会所になっているが、昔は神馬という神の使いとされる馬を飼っていた。神馬には青馬が選ばれた。またすぐ近くに神馬を埋葬する神馬塚もある。 宝篋印塔-一部が残っているだけだが、南北朝時代のものと考えられている。 大草屋敷跡-竹の花地区に住んでいた美甘氏の屋敷跡。大草とは大麻(大きな御幣)のことと考えられ、それを管理していた美甘氏の影響力が伺える。大草屋敷跡の裏には阿弥陀堂があり、室町時代から戦国時代にかけての石塔が集中している。ただ大草屋敷跡は現在、田んぼになっている。
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