中学校・高等学校時代とは? わかりやすく解説

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中学校・高等学校時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 03:48 UTC 版)

小林信彦」の記事における「中学校・高等学校時代」の解説

1945年3月10日東京大空襲生家焼失。かつて父が病気中退した文京区大塚東京高等師範学校附属中学(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に無試験入学するが、空襲校舎焼失していたため、再疎開先の新潟県高田市(現・上越市)の県立高田中学校(のち新制新潟県立高田高等学校)に学んだ在住先は中頸城郡(現・妙高市)。 1946年12月東京戻って青山母方実家住み東京高師附属中学復学このころ下町山の手文化的なギャップ開眼中学では美術研究会所属し一学年上にのちの美術評論家高階秀爾がいた。中学時代神田冨山房シムノン徳川夢声著書万引きしようとして店員捕らえられ袋叩きにされたことがある1948年東京高等師範学校附属高等学校1949年東京教育大学附属高等学校改称、現・筑波大附属高校)に進む。同期には、嘉納行光(元全日本柔道連盟会長)、藤井裕久(元財務大臣)、鈴木淑夫元日本銀理事)、徳山明(元富士常葉大学学長)、中江陽三(元NHKアナウンサー)、吉田庄一郎(元ニコン会長)などがいた。 高校では、友人たちと4人で映画研究会設立メンバーのうち、銀行員になった昌孝(荻昌弘の弟)以外の2名は東宝プロデューサーとなり、のちにクレージー映画小林と共に仕事をした。2名のうちの一人大森幹彦)。高校文化祭陰祭」では、アメリカ人劇作家"H・B・ガーガン"なる人物の作品称して(実は架空人間自作西部劇上演したことがあるまた、戦後再上映されたマルクス兄弟映画見て、そのアナーキーなギャグ衝撃を受ける1949年を「自分人生で一番面白かった年」と後に語るが、1950年朝鮮戦争開戦により核戦争恐怖とらわれる。この時代のことは小説世間知らず』に描かれている。なお高校の1年後輩には、『ニッポン無責任時代』などの脚本家となる田波靖男がいた。 同じ1950年神保町ゾッキ本屋でさまざまな本を買う。『太宰治全集』で「人生進路決定」され、ヘンリー・フィールディングの『ジョゼフ・アンドルーズ道中記』で「英文科進学する」こととなり、安藤鶴夫落語鑑賞』で桂文楽独特の語り口活字化する技術衝撃受けた

※この「中学校・高等学校時代」の解説は、「小林信彦」の解説の一部です。
「中学校・高等学校時代」を含む「小林信彦」の記事については、「小林信彦」の概要を参照ください。

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