中国の甜点心とは? わかりやすく解説

中国の甜点心

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 13:47 UTC 版)

菓子」の記事における「中国の甜点心」の解説

文明黎明期同じよう粉食文化始まりながら、中国では菓子について独自の位置づけがなされ、点心としての発展遂げた現代世界で菓子として認識されている食品を、中国の食において一括りにするのは難しい。中国の食は、食事をするといった意である「吃飯」と、軽食をとるといった意味合いの「吃点心」に大別できる。吃点心中でも、粉を練って作った皮で餡を包み込んだものを点心と言い、さらに甘味のものを甜点心としており、「月餅」や小豆餡饅頭である「豆沙包子」などが良く知られている。同じく点心の中で、果物意味する果子があり、果物砂糖漬けや、果汁作った菓子などはこれに含まれる。「杏仁豆腐」は本来は「吃飯」の宴席料理の甜湯であるが、少量供した場合小食として吃点心としても扱われるアイスクリーム氷菓は食ではなく飲に属し、喝の冷飲として扱われている。 黄河文明期、紀元前3000年頃の仰韶文化期において石臼使用されており、穀類砕き加工し調理する技術中国でも古代から知られていた。だが、粉食中国食文化浸透し始めたのは、前漢武帝の時代匈奴挟撃するべく大月氏使者として送られ張騫が、紀元前126年小麦とその製粉技術持ち帰ってからとされている。北魏の末、500年頃著作斉民要術』には、粉食としての点心詳細に記述されており、小麦加工した「餅(ピン)」などの記述見られるが、当時製粉技術石臼であり、7世紀初頭から10世紀初頭栄えた唐の時代碾磑など水車使った大規模な製粉技術もたらされて後、中国食文化本格的に粉食主体となった考えられている。さらに、唐時代イスラム帝国勃興する時代重なっており、世界交易拠点でもあった長安にはペルシア人頻繁に訪れた長安都にドーナッツのような揚げ物である「環餅」や「油餅」などを売る店が並びペルシア風の食べ物「胡食」が流行した精糖技術伝わり甜点心はさらに発展した飲み点心小食食べる、いわゆる飲茶という食習慣全国普及したのも唐の時代考えられている。以降元代にはモンゴル人食習慣取り入れられ、乳や酪といった素材用いた甜点心作られた。清代には満州族菓子シャーチーマー」なども中国全土広がり、また1840年アヘン戦争前後してヨーロッパ菓子流入したビスケットは「餅乾」として普及しケーキ欧風菓子意味する「西式点心」として区分されていた。

※この「中国の甜点心」の解説は、「菓子」の解説の一部です。
「中国の甜点心」を含む「菓子」の記事については、「菓子」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「中国の甜点心」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中国の甜点心」の関連用語

1
4% |||||

中国の甜点心のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中国の甜点心のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの菓子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS