中国の皇后
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 13:49 UTC 版)
中国における君主号は、殷・周時代は「王」、秦代以降は「皇帝」であるが、それ以前の古い称号として「后」が存在した。王・皇帝に君主号が変遷して後、后はそれに次ぐ称号とされた。王、皇帝に次ぐ存在は王・皇帝の正妃ないし母親である事から、皇帝の正妃を皇后、皇帝の母親を皇太后と称するようになった。 語意からは、皇帝が「天」の権威に基づく称号であるのに対し、皇后は后土というように「地」に基づく称号である。 敬称は殿下。別称について、「中宮」「長秋宮」「椒房」などがある。礼服は翟衣。礼冠は十二花樹冠(唐以前)、および鳯冠(宋以降)で、それぞれ皇帝の礼服である冕服と礼冠である十二旒冕冠に対応している。まだ崩御後は皇帝皇后を陵に合葬するのが通例であるが、皇帝が先立って崩御した場合には、皇后は帝陵の近くの皇后陵に葬されることもある。 陰陽五行説では男は陽、女は陰とされ、それぞれの頂点に皇帝、皇后がいるということになった。そのため、皇帝が三公九卿以下の官僚組織を擁するのと同様、後宮制度において皇后も三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻の3倍ずつ増加するヒエラルキーを擁していた。 日本の皇室には、そもそも姓がなく、名字も当然ないが、中国の歴代王朝の君主は姓を持ち、皇后には原則として異姓の者がなった。中国の皇后は従って、皇后が出身した一族の姓で呼ばれ、唐朝第3代の皇帝である高宗の皇后は「武」の姓を持つ一族出身であったので、「武皇后」が正式名であった。しかし後に、皇帝位を簒奪して自ら皇帝を名乗り、新王朝を開くと共に王朝名を周とした(武周と称する)。武照は皇帝としては武則天と呼ばれる。中国歴代王朝の中で唯一の女帝である。
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