下中座
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下中座(しもなかざ)は小田原市小竹地区に伝わる、国の重要無形民俗文化財「相模人形芝居」を伝承する民俗芸能団体である。
注釈
- ^ 伝承の中には小竹や羽根尾界隈に今も残る横穴墓の中で練習したとするものもある。ただし、横穴墓の大きさは天井までの高さが1.2m程度しかないため人形や道具を隠しただけではないかという意見もある。
- ^ 当時の小竹村の代官は伊豆韮山代官江川英龍である。
- ^ なお、小竹にある東際寺の墓碑や過去帳から、文久元年(1861年)頃、竹本美尾太夫、竹本桂太夫などの義太夫節の太夫の在村が確認されているが、人形芝居との関係は明らかにされていない
- ^ ただし、相模人形芝居下中座の歩み以前の記録では「『伝七』という人形遣いが来村した」とあるのみで、『豊松伝七』と明言していない
- ^ 神奈川新聞昭和26年12月4日号。記事は「義太夫の保存に尽力」としている。この場合の『義太夫』は『小竹の人形』を指すものと考えられる。
- ^ かつて4世吉田国五郎と考えられていたが、近年の研究により6世に当たることが判明している。
- ^ 『二人禿』自体は相模人形芝居に伝承されている演目ではないが、小田原市立下中小学校下中座クラブにおいて、小学生でも人形を遣うことのできる演目として、後継者育成用に修得したものとされている。
- ^ 過去3年間毎年公演している場所、行事。
- ^ 岸忠義さん傘寿記念 夢P75。年1回平成16年以降毎年1回後援会の主催により開催している。なお、最初の公演は、小竹地区で下中座が公演したものとしては実に50年ぶりのものであった。
- ^ 『下中座の歩み』等下中座の歴史に特筆される公演
- ^ 公益財団法人東日本鉄道文化財団主催。東京駅丸の内北口に仮設舞台を建て、主に同財団が支援した東日本旅客鉄道管内の民俗芸能を中心に行われた公演事業。平成15年11月14日・15日開催事業に出演している。
- ^ 平成21年度までは『板橋 秋の交流会 夢見遊山いたばし』という行事名であったが、同年実施の小田原市に事業仕分けにより、この行事が廃止とされたことから、規模や名称を変えて行われることになった。
- ^ 相模人形芝居史上、初の海外公演とされている。タイ王国チェンマイ市にあるチェンマイ大学のラーンナー民家園で開催された。
出典
- ^ 相模人形芝居下中座の歩みP15
- ^ 神奈川県民俗芸能誌P842
- ^ 相模人形芝居下中座の歩みP47.48に小竹搾乳組合寄付の引幕及び下中四七会の寄付の袖幕の写真が掲載されている。
- ^ 相模人形芝居下中座日記(公式blog)
- ^ 相模人形芝居下中座日記(公式blog)
- ^ 相模人形芝居下中座の歩みP17。昭和43年(1968年)建立。神奈川県知事内山岩太郎揮毫、永田衡吉撰文。
- ^ 下中座座長 岸忠義さん
- ^ 第36回相模人形芝居大会資料
- ^ 相模人形芝居下中座の歩みP40~43
- ^ 岸忠義さん傘寿記念 夢P80
- ^ 相模人形芝居下中座の歩みP8.9
- ^ 相模人形芝居下中座の歩みP16~18
- ^ 相模人形芝居下中座の歩みP19~23
- ^ 相模人形芝居下中座の歩みP22
- ^ 岸忠義さん傘寿記念 夢P74
- ^ 岸忠義さん傘寿記念 夢P72~P76
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