下中山村とは? わかりやすく解説

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下中山村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/10 01:57 UTC 版)

しもなかやまそん
下中山村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
下中山村上中山村中山村
現在の自治体 西伯郡大山町
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,364
国勢調査、1950年)
隣接自治体 赤碕町、上中山村、西伯郡逢坂村
下中山村役場
所在地 鳥取県東伯郡下中山村
座標 北緯35度31分27秒 東経133度35分04秒 / 北緯35.52428度 東経133.5845度 / 35.52428; 133.5845座標: 北緯35度31分27秒 東経133度35分04秒 / 北緯35.52428度 東経133.5845度 / 35.52428; 133.5845
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下中山村(しもなかやまそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の西伯郡大山町の一部にあたる。

地理

甲川の下流域、中山谷の北部に位置していた[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、八橋郡潮音寺村、栄田村、田中村、御崎村、赤坂村、下甲村が合併して村制施行し、下中山村が発足[1][2]。旧村名を継承した潮音寺、栄田、田中、御崎、赤坂、下甲の6大字を編成[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1939年(昭和14年)から大山開拓営団が大字赤坂・下甲・潮音寺で農地開発を実施[4]
  • 1955年(昭和30年)4月1日、東伯郡上中山村と合併し中山村を新設して廃止された[1][2]。合併後、中山村大字潮音寺・栄田・田中・御崎・赤坂・下甲となる[2]

産業

  • 農業[5]、漁業[3]
  • 産物:米、麦、菜種、養蚕[5]

交通

鉄道

1903年(明治36年)官設鉄道山陰線(現山陰本線)が開通[2]1951年(昭和26年)中山口駅開設[2]

県道

港湾

  • 御崎漁港[5]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』385頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』404-405頁。
  3. ^ a b 「御崎〈中山町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』729頁。
  4. ^ 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』60、399、493頁。
  5. ^ a b c 「潮音寺〈中山町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』493頁。

参考文献

関連項目




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