上田衆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 05:08 UTC 版)
「天地人 (NHK大河ドラマ)」の記事における「上田衆」の解説
泉沢久秀(いずみざわ ひさひで) (泉沢又五郎 → 泉沢久秀) 演:東幹久(少年時代:柴崎洸守) 上田衆の一人で、幼名および通称は又五郎(またごろう)。喜平次付の小姓に選ばれ、ともに雲洞庵で修行する。年下の与六のことを「おチビ」と呼んで、よく喧嘩をしていた。以後は兼続の一番の親友となる。兼続が刈安兵庫と斬り合いに及んだ際にはその場に居合わせ、兼続とともに蟄居を命じられた。景勝にとっては兼続に次ぐ信任があり、そのため兼続とともに御館の乱の戦功により家老に抜擢される。上田衆きっての槍の名手で、謙信より賜った槍を大切にしていたが、その槍を巡る誤解で幸村にあらぬ疑いをかけてしまうが、後に誤解が解けてからは幸村の精神的成長もあって意気投合した。 上杉家が会津に国替えとなることが決まると当初は反対するが、兼続の意を受け、越後に帰還する時のために残しておく人間を家中から選抜する役目を担当。自らも妻の反対を押し切って息子達を越後に残す。 お慶(およし) 演:国分佐智子 泉沢久秀の妻。直江家との親交も深く、本多政重とお松の婚儀でも手伝いをしている。 泉沢久信(いずみざわ ひさのぶ) 演:真鍋卓也 久秀の長男。上杉家の会津移封の際には、総領息子であるために父とともに会津へ移る。後に大坂の陣で戦没したことが語られている。 泉沢又次郎(いずみざわ またじろう) 演:草川拓弥 久秀の次男。上杉家の会津移封の際には、父の方針で越後に残る。 泉沢弥三郎(いずみざわ やさぶろう) 演:堀川裕生 久秀の三男。上杉家の会津移封の際には、父の方針で越後に残る。 栗林政頼(くりばやし まさより) 演:平泉成 上田長尾家の家老。長尾政景の没後も引き続き景勝の家老として坂戸城を守る。謙信没後の家督争いでは、北条家出身の景虎が上杉家の後継になることに反対する。御館の乱では坂戸城を基点に深沢とともに北条軍の北上を阻止。織田軍が越後に迫ると深沢やカラス組を率い数百の兵で織田方の滝川一益率いる数千の軍勢を撃退する。その後、病床に伏せるが見舞いに来た景勝に「上洛しても上杉の誇りは捨てないで欲しい」と思いを語った。 安部政吉(あべ まさよし) (安部仁介 → 安部政吉) 演:葛山信吾(少年時代:伊藤大翔) 幼名および通称は仁介(じんすけ)、通称は右衛門尉。雲洞庵時代から景勝に仕えている。上田衆若手のリーダー格で、最年少の兼続のことをよく気にかけている。また血気盛んな同僚たちとは一線を画す冷静さも持ち合わせている。御館の乱の戦功で栃尾城主に任命される。 織田軍の上杉侵攻が始まると自ら志願して吉江とともに魚津に向かう。景勝の降伏命令には他の魚津城将とともに拒否。命令を伝えに来た兼続に上杉の魂を託して景勝の陣へ戻す。その後も篭城戦を続けるが劣勢を覆すことはできず、魚津城落城に際し吉江らとともに自害した。勝政という弟がいる。 深沢利重(ふかざわ とししげ) 演:鈴木正幸 上田長尾家の家老。深沢弥七郎の叔父。政景の没後は跡を継いだ景勝の家老となり、景勝や栗林を支える。 甘糟景継(あまかす かげつぐ) (登坂藤丸 → 登坂藤右衛門 → 甘糟景継) 演:パパイヤ鈴木(少年時代:新井海人) 幼名は藤丸(ふじまる)、当初は登坂藤右衛門(のぼりさか とうえもん)を名乗っていた。雲洞庵時代から景勝に仕えている。やや直情的な性格。「上杉のしんがりは自分の役目」とも豪語する。御館の乱以降、他の上田衆とともに出世していく。会津時代では白石城主となって伊達政宗に備えるも、侵攻する伊達軍に敗れた。戦後は内政を担当し、兼続が隠退の意を固めた時は説得を試みている。 桜井晴吉(さくらい はるよし) (桜井三介 → 桜井晴吉) 演:松尾諭(少年時代:荒井健太郎) 幼名および通称は三介(さんすけ)。雲洞庵時代から景勝に仕えている。兼続たちとともに順当に出世をしていく。関ヶ原戦後、混迷する上杉家財政を救うために率先して領内の開墾を行う。 山岸尚家(やまぎし なおいえ) (深沢弥吉 → 深沢弥七郎 → 山岸尚家) 演:松本実(少年時代:三村和敬) 幼名および通称は弥吉(やきち)。深沢利重の甥で、当初の名は深沢弥七郎(ふかざわ やしちろう)。雲洞庵時代から景勝に仕えている。兼続・久秀・景継・晴吉とともに上杉の重臣となっていく。
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