上官を射殺――自決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:45 UTC 版)
前線に飛行機を飛ばして来た閑院宮春仁王殿下から終戦の正式な聖旨の伝達があり、午後からは、熊本連隊も所属する第19軍の軍旗を一括して昭南神社で奉焼する予定となっていた。鳥越副官は、「あんたは今すこし私の部屋で遊んでいて下さい。例のこと(抵抗部隊の話)で相談がある」と蓮田に言い残して、軍旗室へ行った。 中条豊馬大佐は、軍旗を納めた箱を持った塚本少尉を従えながら、連隊本部の玄関を出た。中条豊馬大佐が、待機していた車に乗り込もうとすると、副官室の窓外の死角で待ち伏せていた蓮田が、黒田軍曹の背後から踊り出てきた。蓮田は「国賊!」と叫び、拳銃を2弾連発し、中条豊馬大佐を射殺した。 「つかまえろッ!」という河村大尉の怒号の中、蓮田は築山を目指して走り、自らの右こめかみに銃口を当て引き金を引くが不発となった。黒田軍曹がすっ飛んで行って制止すれば自殺を防げそうだったが、黒田軍曹はあえてそれをしなかった。知性の高い蓮田が上下関係の箇条を犯してまで敢行した所業には、それ相当の覚悟と理由があったに違いないと黒田軍曹は咄嗟に判断し、もしも築山で文書焼却作業をしている兵士たちが蓮田の自決を止めようとしたら、逆にそれを抑えようと考えた。 蓮田は、追手を制止するか二重装填を解くかの動作の如く、右手を水車のようにグルグル回しながら再び走り、もう一度こめかみに拳銃を当て引き金を引いた。蓮田の身体は一旋回すると、一尺ほど血潮を吹き上げながらねじれて大地に倒れ絶命した(享年41)。 その時、左手に固く握りしめていたものは、〈日本のため、やむにやまれず、奸賊を斬り皇国日本の捨石となる〉という文意の遺歌を書いた1枚の葉書だったと内野中尉は証言している。国に遺した妻子のことを思わぬでもないが、これが自分の行く道だから、という意味のことも書いてあったという。 蓮田の遺体は原隊の梶原隊に移され、戦友たちにより、現地ジョホールバルで荼毘にふされた。同郷の島村肇伍長が蓮田の遺骨や原稿を持って帰国する手筈になっていたが、英国軍が遺骨の持ち帰りを禁止したため、やむなく遺骨はシンガポールのゴム林の中に葬られた。左手に握りしめられていた葉書や、書きためてあった行李いっぱいの原稿類も憲兵隊に持ち去られた。 蓮田が死んだ日は朝から曇りで、夕方から雨が降り出した。本部付の下士官が就寝前に外庭に出ると、玄関前から飛び立つ火の玉があったという。後藤軍曹は、「蓮田中隊長の魂が祖国日本に向かって昇天した」と綴っている。ちょうどその日あたり、植木町にいる敏子夫人が夜、庭の方を眺めていると、阿蘇の方角から両手に抱えるほどの大きさの火の玉が飛んで来た。また、ある日夫人は不思議な夢を見た。それは明け方、ふと気づくと枕元に軍装の夫が佇んでいたので「お帰りなさい」と挨拶すると、蓮田の姿は崩折れるようにその身を沈めて消え、その瞬間に夢から覚めたというものだった。
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