三役時代
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続く5月場所は前頭6枚目に下がって出直しとなったが、初日朝汐を破って横綱挑戦3戦目で初勝利、生涯唯一の金星を挙げるなど11勝4敗で二度目の敢闘賞。7月場所で新小結に昇進すると、この場所でも11勝4敗、9月場所では20歳3ヶ月の史上最年少(当時)で新関脇となる。11月場所では13勝2敗の成績を挙げ、これも当時の史上最年少となる20歳5ヶ月で幕内最高優勝を達成し、場所後史上最年少で大関へ昇進した。入幕した年に大関昇進を果たした力士は2019年現在でも大鵬のみ(入幕から6場所での大関昇進も、年6場所制後最短である)で、同じく入幕した1960年に年間最多勝を獲得という、賞の発足後史上唯一の記録を立てた。小結・関脇では36勝9敗という圧倒的な強さを誇り、合計3場所で通過となった。また、新入幕から6場所目での初優勝は年6場所制以降では当時の最速記録だった。この場所でTBSアナウンサーの小坂秀二が「柏鵬時代」という言葉を発したことをきっかけに、それが一気に定着するに至った。 新大関となった1961年1月場所は10勝5敗に終わり、13勝2敗で初優勝の柏戸に主役を譲って綱取りの面でも一歩を先んじられる形になった。しかし翌3月場所からほぼ毎場所優勝争いにからみ、7月場所では柏戸と朝潮(もと朝汐)を連破して13勝2敗、大関としての初優勝を果たした。なお朝潮とはこれで対戦成績を4勝4敗と五分にし、これが最後の取組となった。9月場所では14日目に柏戸に敗れ3敗目を喫したが、柏戸と平幕の明武谷との優勝決定戦に臨み巴戦を制して2場所連続優勝。場所後協会は横綱審議委員会に大鵬・柏戸両名の横綱昇進を諮問し、両名とも満場一致で横綱に推薦された。大鵬21歳3ヶ月、柏戸22歳9ヶ月での横綱昇進は、ともにそれまでの最年少記録だった照國萬藏の23歳3ヶ月を更新するものだった。また横審が内規を定めてから、大関で2場所連続優勝を果たして横綱に昇進したのは大鵬が初めてである。昇進時の口上は「横綱の地位をけがさぬよう今後も精進します」であった。
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