三役昇進まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:34 UTC 版)
新入幕となった2011年11月場所では、11日目に勝ち越しを決め、最終的には11勝4敗の好成績を挙げて初の三賞となる敢闘賞を受賞。。初土俵から所要14場所での三賞受賞は小錦や武蔵丸らに並ぶ史上6位のスピード記録(幕下付け出しを除く)となった。 2012年2月13日に師匠である14代田子ノ浦が急逝して田子ノ浦部屋が閉鎖されたため、本人は同年3月場所前に春日野部屋へ移籍した。転籍後の初稽古では引退したばかりの竹縄が教育係を務めた。春日野部屋へ移籍して初めての場所となった同年3月場所では8勝7敗と勝ち越し、続く5月場所でも自己最高位となる西前頭6枚目の位置で11勝4敗と大きく勝ち越した。東前頭2枚目まで番付を上げた翌7月場所では、横綱・大関陣との対戦が続いた7日目までは1勝6敗という成績だったものの、8日目以降は白星を重ねて、最終的には8勝7敗と勝ち越しを決めた。翌9月場所では新三役となる東小結へと昇進し、ブルガリア出身力士としては2005年3月場所における琴欧州(現・琴欧洲)に続く2人目の新三役となり、初土俵から所要18場所での新三役昇進は曙と並ぶ史上7位のスピード記録(幕下付け出しを除く)となった。新三役昇進が決定した際の会見では、前師匠の田子ノ浦親方の遺影を持って会見した。
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