三役 - 横綱昇進
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1960年1月場所は東小結で迎え、12日目にはこの場所が新入幕で初日から11連勝中の大鵬幸喜との対戦が組まれた。前日の取り組みの後、支度部屋で記者から「明日は全勝の新入幕・大鵬ですが自信は?」と聞かれると、「番付を見ろ、オレは小結だぞ」と一蹴した。当時から強気な性格で有名だった柏戸だったが、本当は負けるのではないかと考えていた。それでも本当に大鵬を下手出し投げで倒すと、9勝6敗と勝ち越して同年3月場所には関脇に昇進した。 柏戸の快進撃は止まらず、同年9月場所で大関に昇進すると、1961年1月場所では13勝2敗で幕内初優勝を遂げた。優勝力士の副賞としてエールフランスからヨーロッパ旅行に招待されたが、テヘラン空港で髷を見た人から同行した春日野の妻と勘違いされた。 同年9月場所では14日目に大鵬、千秋楽に若乃花を連破し12勝3敗で大鵬・明武谷力伸との優勝決定戦に進むが、巴戦の初戦で明武谷を倒したものの大鵬が柏戸・明武谷を連破したため優勝を逃した。場所後に日本相撲協会は横綱審議委員会に大鵬・柏戸の両名を同時に横綱推薦の諮問をし、「両者の力量に差はない」として満場一致でそろって横綱昇進に異議なしとの答申をした。星数は直前3場所で33勝と力不足だったものの、大関昇進後の勝率は大鵬・柏戸とも互角であり、また系統別総当たり制の下では若乃花との対戦がない大鵬に対し柏戸は役力士全員と対戦していている事情等が加味されて、昇進見送りとの事前の見込みを覆して満場一致となった。また柏戸が横綱に昇進した背景には若乃花・朝潮の両横綱に衰えが見られたことや、柏鵬ムードで盛り上がった世論の動向があった。歴代の「柏戸」には大関まで昇進した力士がいるものの、横綱に昇進したのは初だった。さらに22歳9ヶ月での昇進で、照國萬藏の持つ最年少記録を大鵬幸喜と共に更新した(現在は歴代5位)。昇進時の口上は「横綱として恥ずかしくない成績を挙げるために頑張ります」であった。 けれん味のない正攻法の相撲ということもあって、平幕時代には横綱戦5戦全敗と通用せず、金星獲得はない。それでも関脇にあがった頃から地力も増し、栃錦には5連敗のまま引退されてしまったものの、若乃花に4連勝、朝潮には5連勝するなど彼らを圧倒しはじめる。通算では朝潮には6勝4敗と勝ち越し、若乃花には6勝6敗と五分の星を残した。
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