ジンクスを打ち砕き横綱へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:14 UTC 版)
「佐田の山晋松」の記事における「ジンクスを打ち砕き横綱へ」の解説
幕内最高優勝を新入幕から僅か3場所で果たした佐田の山は一気に番付を上げ、東前頭2枚目の地位で迎えた1961年7月場所は朝潮、若乃花の両横綱から金星を挙げ、11勝4敗の好成績を挙げて殊勲賞を受賞した。同年9月場所では小結を通り越して関脇に昇進し、この場所を8勝7敗と勝ち越すと、それ以降三役に定着する。1962年3月場所は初日から10連勝して、13勝2敗と前場所以上の好成績を残した。この場所を含めて本割で5戦全敗だった横綱・大鵬幸喜との優勝決定戦に臨み、見事に勝利して2度目の幕内最高優勝を果たすと同時に場所後の大関昇進を確実にした。快進撃を続ける佐田の山に対し、部屋の大先輩である出羽錦忠雄は佐田の山を厳しく熱心に指導し、「晋松(佐田の山)が綱を取ったらワシが太刀を持つからそれまでは引退しない」と言い、佐田の山の横綱昇進を心待ちにしていたが、1964年9月場所を最後に現役を引退し、太刀持ちは叶わなかった。大先輩の引退を受けてより早期の昇進を目指す佐田の山は一層稽古に励み、同年9月場所から3場所連続で13勝2敗の好成績を挙げ、1965年1月場所には3度目の幕内最高優勝を果たして横綱に推挙された。長年にわたり、「平幕優勝した力士は横綱や大関に昇進できない」というジンクスが存在していたが、佐田の山によって見事に打ち砕かれた。昇進時の口上は「ありがたくお受けいたします」のみであった。
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