ヴァイキング時代から15世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 01:54 UTC 版)
「デンマーク海軍」の記事における「ヴァイキング時代から15世紀」の解説
デンマーク(グリーンランドとフェロー諸島を除く)の地理構造は、陸地1に対して海岸線5.9の比率を持つ。このためデンマークは自然な流れとして伝統的に海洋活動が活発であった。それを象徴するものは9世紀ごろのヴァイキングであり、小規模ながらもよく組織された船団をもっていた。初めの頃のヴァイキングは少数の村を拠点に共通防御協定を結んでおり、これはこんにちのNATO協定と類似していた。ヴァイキングは軽い船、通常はクナール形を用いて簡単に陸上の村々に人貨を運搬していた。時間とともに防御協定はヴァイキングが沿岸地域を略奪するために使い、より大規模な船団に成長する。実際に、ヴァルデマー2世による1219年のエストニア征服では1,000隻以上の船を保有していたと言われている。船団は30,000人の兵士と一緒に馬と必需品を運ぶ。ヴァイキング時代後の15世紀には船団は主に商船から成っていた。 記録では14世紀後半から統一デンマーク海軍が存在しているとされる。マルグレーテ1世の下でカルマル同盟が締結され、主にハンザ同盟から同盟を守る為に海軍の創設を命じた。それ以前は国内の船団は貴族によって所有し管理される船から成っていた。しかし、デンマークにはそのような海軍はなかった。したがって初期の君主は貴族からの徴用に頼らなければならなかった。しかも、国内の君主政体の中には敵対的な貴族もいたので容易なことではなかった。マルグレーテ1世は創設された海軍を王権の管理下に置く命令をだした。船員達の中でも中核的船員、すなわちマスター(船長)、マスター・アット・アームス(先任衛兵伍長)、船匠については君主が雇用することができたが、貴族達は一般の船員(主に「志願」した農民で構成された)を提供しなければならなかった。教育担当官もおり、これについては主に貴族に課されていた。 15世紀には、特にハンス王の治世でデンマークの商業は相当発展し交易は増加した。それには船舶が輸送に最適であったことから、デンマークの海上利権はさらに保護する必要があった。ハンス王は1509年に共同船団監獄(en:Royal Dano-Norwegian Navy)を創設し職業船員を大幅に増やした。彼らの多くは軽犯罪者であり、王の海軍で勤務するか投獄されるかを選ばせた。監獄船員たちは操船術と大工職など船の運行に関わる基礎的な訓練を受けた。ただし、武器の取り扱いと戦闘についてはまだ徴用された農民達の手にあった。このため国は後にデンマークの教区として用いられるデンマーク語skipanと称するいくつかの郡に分けられた。専用の海軍基地と造船所が創設されたのもこの時期であった。彼らは王の海軍を編成し、維持し、戦備を整えた。専用の海軍基地についての最初の記録は1500年のBremerholmd(後のガンメルホルム、en:Gammelholm)となっている。 デンマーク海軍設立の起源は、1510年8月10日にハンス王が家臣のヘンリク・コルーメディー(da:Henrik Krummedige)を海上での指揮権を一任された全船長の頭に任命したことにあると、デンマークではよく見られる。
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