ワッパ騒動の新たな展開・森藤右衛門の建白運動とは? わかりやすく解説

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ワッパ騒動の新たな展開・森藤右衛門の建白運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 04:20 UTC 版)

ワッパ騒動」の記事における「ワッパ騒動の新たな展開・森藤右衛門の建白運動」の解説

逮捕逃れた指導者農民達は政府出訴する方針をとり、金井質直はじめ農民24名が官憲の目を逃れて上京し司法省に允釐等の釈放酒田県政の問題訴えたが、却下され逆に拘束され酒田県引き渡された。 森藤右衛門単独上京し1874年明治7年10月11月左院建白書提出して酒田県改革訴えた嘆願終始しないで、建白訴訟運動展開したことにより、ワッパ騒動新たな段階迎えることになった政府12月はじめ、三島通庸みしまみちつね)を酒田県令に任命し騒動鎮圧、処理をさせるとともに酒田県政の確立はかろうとした。1875年明治8年1月15ヶ条の建白書三島提出したが、拒否されてしまう。酒田出張中の内務省林茂平にも提出した。しかし、進展みられないため、2月は5名の農民とともに上京し酒田県被告として司法省訴えたまた、4月元老院設置されると、5月から6月にかけて、3回にわたり元老院建白活動行った。その建白書郵便報知新聞掲載し注目されたので、三島大いにあわて大久保対策懇願している。森藤右衛門東京小野梓など自由民権家たちと交流し新聞大きな力を持つことを確認できた。 7月元老院建白について垂問開始。この垂問に当たり同志栗原進徳(金井質直の弟、本多允釐の兄)が校主となり、鶴岡に「法律学舎支校」という法律学校創設し当時日本最先端フランスの法学者ボアソナードからの流れをくむ清水齋記(しみずさいき)を先生迎えている。農民指導者などワッパ騒動関係者内外法律思想について学習したことは注目すべき活動である。これらの活動あいまって10月元老院大書記官沼間守一ぬまもりかず)が鶴岡派遣されてきた。沼間8年10月から1か月間、松平をはじめ県官・戸長・村吏・特権商人等を森藤右衛門建白沿った形で、厳しく取り調べ行った。これをきっかけにして村役人不正追及運動再発した窮地立った三島は、沼間取調べ越権不法行為元老院抗議し三条大久保上申している。 明治政府当時大久保等を中心とする太政官側と後藤象二郎等を中心とする元老院側が対立しており、それがワッパ騒動沼間取り調べ巡って表面化している。1875年明治8年11月入り元老院権限縮小されたが、報告書正院司法省引き渡されていった

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