ワイドサタデーとは? わかりやすく解説

ワイドサタデー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 15:12 UTC 版)

ワイドサタデー』は、1970年10月3日[1]から1983年3月26日[1]まで、朝日放送(ABC)など、テレビ朝日(1977年3月まではNETテレビ)系列(1975年3月まではTBS系列)の近畿・中国・四国・九州各地のネット局(他系列局含む)が共同制作して毎週土曜日の15:00 - 15:55(JST)に放送されていた生中継番組である[2]


注釈

  1. ^ 時折、瀬戸内海沿岸以外の共同制作局の放送エリア内(各県の制作参加局の内陸部や、朝日放送の放送エリアの京都府・奈良県など)からのレポートが放送されることがあった。
  2. ^ 岡山放送フジテレビ系列を優先していたため、参加しなかった。
  3. ^ 放送当時NET系にはテレビ岡山(正式社名は岡山放送)・テレビ大分テレビ宮崎が加盟していたが、ネットおよび共同制作の移行は行われなかった。
  4. ^ 一例として、1981年8月8日は、朝日放送と瀬戸内海放送が『高岡第一高校 vs 志度商業高校』を放送し、本番組を23:45からの放送とした一方、広島ホームテレビと南海放送は先行ネットでは本来の時間帯に先行ネット放送していた(出典:同日の中国新聞および産経新聞・岡山版のテレビ欄)。
  5. ^ 一例として、1982年10月9日には、プロ野球『大洋 vs 巨人』がテレビ朝日系列全国ネットで13:55 - 15:55に放送されたため、朝日放送では17:00から、広島ホームテレビでは23:20から、瀬戸内海放送では23:25からの録画放送となった一方、南海放送では裏送りで通常通り15:00から放送していた(出典:同日の中国新聞、産経新聞・岡山版各テレビ欄)

出典

  1. ^ a b c d e f g h 宮崎放送開局三十周年記念事業委員会 編『宮崎放送三十年史』宮崎放送、1984年12月20日、138 - 140頁。NDLJP:12275337/93 
  2. ^ 朝日放送社史編修室 編『朝日放送の50年』 III《資料集》、朝日放送、2000年3月、191頁。 
  3. ^ 南海放送株式会社 編『地域とともに三十年 : 南海放送社史』南海放送、1984年2月、142頁。NDLJP:12275568/92 
  4. ^ a b 『夢にはじまる:南海放送五十年史』南海放送、2005年 pp.88-89
  5. ^ 『ワイドサタデー』と伊丹さん - 伊丹十三記念館公式ブログ「記念館便り → 記念館からみなさまへ 」、2012年3月5日。文中に伊丹が出演した第197回(1974年10月19日放送)「終着駅の旅 その1」と、第209回(1975年1月18日放送)「たくましく生きる」の台本の表紙が掲載されているが、いずれも「共同制作」として四国放送・宮崎放送が既に記載されている。
  6. ^ 中国新聞、1981年11月7日、24ページ、テレビ欄。この時は『広島ママさんバレーボール大会・決勝戦』を14:30 - 16:00に放送のため、当日23:15から録画時差ネットで放送。
  7. ^ 木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所


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