ロスケリヌスの唯名論とは? わかりやすく解説

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ロスケリヌスの唯名論(センテンティア・ヴォクム)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/04 16:23 UTC 版)

コンピエーニュのロスケリヌス」の記事における「ロスケリヌスの唯名論(センテンティア・ヴォクム)」の解説

フライズィンクのオットー英語版によればロスケリヌスは「我々の時代最初唯名論者」(羅:primus nostris temporibus sententiam vocum instituit、"Gesta Frederici imp". in "Monum. German. Histor.: Script., XX, 376)だが、『フランク史』(羅:Historia Francia、cf. Bouquet, "Recueil des hist. des Gaules et de la France", XII, Paris, 1781, 3, b, c)の作者彼の前にヨハネス教師」に言及しており、その教師個人情報詳しく述べられているが誰の事なのかはっきりとは分かっていない。何がセンテンティア・ヴォクム(羅:sententia vocum、唯名論)を構成するのか? それを判断するために以上の文献を脇において、ヴィクトル・クザンによって誤ってアベラルドゥス帰されたがロスケリヌス直接的に関係する論考哲学問題集』(羅:De generibus et speciebus、13世紀)を見てみよう。「センテンティア・ヴォクム」は中世初期受け入れられ普遍論争反実在論解決一つである。ポルピュリオス残した問題(mox de generibus et speciebus illud quidem sive subsistent sive in nudis intellectibus posita sint)を考えることで最初期中世哲学者たちは類と種(実体組織性獣性人間性)を物として、あるいは実体持たないものとして扱い、彼らはボエティウス用語法代わりに適用してそこからもの(羅:res)か声(羅:voces)を引き出した唯名論者にとって普遍とは声にすぎない、つまり、: (1)普遍とはいかなる意味でも「もの」ではありえず、個々人心の中存在するに過ぎない: "nam cum habeat eorum sententia nihil esse praeter individuum ..." (De gener. et spec., 524)。唯名論本質的に反実在論であった(2) 普遍とは気息(羅:flatus vocis)にすぎない例え人間(羅:homo)という言葉は二音節分けられさらには母音と子音分けられる。 "Fuit autem, nemini magistri nostri Roscellini tam insana sententia ut nullam rem partibus constare vellet, sed sicut solis vocibus species, ita et partes ascridebat (Abelard, "Liber divisionum , ed. Cousin, 471); "[...] Illi utique dialectici, qui non nisi flatum vocis putant universalis esse substantias, et qui colorem non aliud queunt intellegere quam corpus, nec sapientiam hominis aliud quam animam, prorsus a spiritualium quaestionum disputatione sunt exsufflandi." (Anselm, De Incarnatione Verbi, p. 285. Opera Omnia, vol. 1. Ed. F.S. Schmitt, 1938); "Alius ergo consistit in vocibus, licet haec opinio cum Roscelino suo fere omnino evanuerit (John of Salisbury, Metalog. , II, 17)。ボエティウスの定義に準拠すると、普遍発され音声(羅:flatus vocis)に還元される: Nihil enim aliud est prolatio (vocis) quam aeris plectro linguae percussio。ロスケリヌスのいう普遍今日「ものの中の普遍」(羅:universale in re)と呼ばれているものや「知性の中の普遍」(羅:universale in intellectu)ではなく「声の中の普遍」(羅:universale in voce)と呼ばれているものに一致する。 しかしこのロスケリヌス理論は類や種の抽象的な概念と結びついていない。彼はこの問題触れていない。彼はこういった概念というものの存在可能性否定していないのは確かであり、イポリット・テーヌ分類法では、つまり今日理解されているような唯名論の意味ではロスケリヌス唯名論者ではない。そのため、今日の意味唯名論という言葉を使う場合ロスケリヌスを偽唯名論者と呼ぶものもいる。ソールズベリヨハネス著書唯名論派』(羅:nominalis secta、Metalog., II, 10)でこの言葉大きく違った意味を与えている。ロスケリヌス稚拙な子供じみてさえいる解答普遍という概念価値危うくするものではなく穏健な実在論発展段階呼ばれることがある。しかし、最初に中世実在論挑んだ中世哲学者という位置立っているために、彼は近代先祖呼ばれてきた。 ロスケリヌス全体合成され部分に関する彼が与えた不明確思想のために、アンセルムスアベラルドゥスによって取り上げられた。アンセルムスによれば、それを支持するのにはたらく色は馬から独立して存在せず知恵ある魂の知恵は魂の外部には存在しないロスケリヌス主張した。(De fide trinit., 2)。彼はその部分の家、人間実在といった全体否定した言葉自体部分持ち、"ita divinam paginam pervertit, ut eo loco quo Dominus partem piscis assi comedisse partem hujus vocis, quae est piscis assi, non partem rei intelligere cogatur (Cousin, P. Abaelardi opera, II. 151)。 ロスケリヌス支持者なしにはいられなかった。支持者中には彼の同輩リールのラインベルトゥスがおり、修道士ヘリマン彼の教説と結びつけていたものコンピエーニュ教師主張同意したヘリマンによれば普遍的な実体は息にすぎなち、つまり"eos de sapientium numero merito esse exsufflandos"である。彼は同じ滑稽な調子アンセルムス発言言及していたに過ぎない: "a spiritualium quaestionum disputatione sunt exsufflandi" (P.L., 256a)。そしてリールのラインベルトの風の発話理解するためには彼の手に息を吹きかけるだけでよい(manuque ori admota exsufflans "Mon. Germ. Hist.", XIV, 275)と言った

※この「ロスケリヌスの唯名論(センテンティア・ヴォクム)」の解説は、「コンピエーニュのロスケリヌス」の解説の一部です。
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