ロシア象徴主義の音楽と演劇
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「ロシア象徴主義」の記事における「ロシア象徴主義の音楽と演劇」の解説
最初の象徴主義の作曲家であるアレクサンドル・スクリャービンは、《交響曲 第1番》において芸術を一種の宗教として賛美した。《交響曲 第3番「神聖なる詩」(仏語:Le divin Poème)》(1902年 - 1904年)は、「汎神論から宇宙との一体化へ至る、人類の精神の進化」を表現しようと試みている。1908年にニューヨークで初演された《交響曲 第4番「法悦の詩」(Poème de l'extase)》は、出版譜に自作の長大な詩を「哲学的な標題」として掲げた標題交響曲で、人類の燃え立つような創造力と仕事の後の倦怠や至福とを壮麗に謳い上げている。《交響曲 第5番「プロメテ―火の詩」》においては入念に選りすぐられた色彩が、色光ピアノによってスクリーンに投影される予定であった(が不手際から実現しなかった)。 スクリャービンは計画倒れに終わった舞台音楽《神秘劇》において、演奏と詩、舞踊、色彩、芳香を結合させて、「至高にして究極の法悦」を人類にもたらそうと考えていた。「全ての芸術分野の舞台における融合」という同様の理念は、アンドレイ・ベールィやワシーリー・カンディンスキーらによっても練られていた。 より伝統的な劇場の世界において、『桜の園』などのチェーホフ後期の戯曲は、象徴主義に足を踏み入れていると評されてきた。しかしながらコンスタンチン・スタニスラフスキーは最初の公演において、なるべく写実的であろうと努力した。象徴主義演劇の頂点としてきまって言及されるのは、メイエルホリドによるアレクサンドル・ブロークの『人形劇』の上演(1906年)である。それから2年後にスタニスラフスキーは、モスクワ芸術劇場においてモーリス・メーテルランクの戯曲『青い鳥』を上演し、国際的な称賛を勝ち得た。 理論めかせば、ニコライ・エヴレイノフの著作にも目配りすべきであろう。エヴレイノフの説によると、劇場は我々を取り巻く全てなのであり、自然界は慣行的な演技に満ち満ちているという。例えば沙漠の花は岩石を模倣しており、ネズミは猫の爪から逃れるために死んだ振りをして見せる。劇場とは、エヴレイノフ曰く、実存というものの普遍的な象徴なのである。一方で、作家アントン・チェーホフの甥で俳優のミハイルは、象徴主義の特殊な演出法を発展させた。これは今でもスタニスラフスキーの演出法と人気を分け合っている。
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