レンズのエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 02:45 UTC 版)
「バリー・リンドン」の記事における「レンズのエピソード」の解説
映画撮影の歴史で最も明るいとされるカール・ツァイス製「プラナー50mmF0.7」を手に入れたまでは良かったが、このレンズはアポロ計画の飛行士が持たされたハッセルブラッド・カメラ(月を離れる際にカメラとレンズは放棄しフィルムだけを持ち帰る)のために作られたもので、マウントのみならずシャッター、絞り、バックフォーカスなど構造のあらゆる点で映画用とは相容れないものだった。キューブリックが前作『時計じかけのオレンジ』で使用したアーノルド&リヒター製アリフレックス35IICにも取付けることはできず、キューブリックはレンズマウントの口径が一番近かったミッチェルBNCカメラをワーナー・ブラザースのカメラ部からジョン・キャリー(当時ワーナーの社長だった)を通じて調達した。このカメラについてキューブリックは、アリフレックスより長尺のフィルムを装填出来、撮影時間を延ばすことができることも利点に挙げている。 レンズの改造はシネマ・プロダクツ社長のエドマンド・M・ディジュリオに依頼された。改造が必要な箇所はレンズマウントの加工にとどまらず、フォーカス機構もそのままでは使えずカメラ本体の絞りも改造が必要だった。また広角レンズでの撮影を好むキューブリックには50mmレンズの画角は狭く、70mmフィルム映写機用のkollmorgen製アダプターをワイドコンバーターとして流用し、焦点距離を36.5mm相当にしている。 レンズ絞りを開放にするとピントが外れ易くなるが、ミッチェルBNCはレフレックス(レンズに入った映像がファインダーから見られる構造)ではなかったため、被写体までの距離を正確に追うため被写体を真横からテレビカメラで写し、フォーカス・プラー(ピントを合わせるオペレーター)が映像をモニターで監視しながらフォーカス操作を行った。さらに視差を最小限にとどめるため、テクニカラー・カメラのファインダーを流用。このような改造とテストに3ヶ月を費やしている。撮影でも俳優はピントを決めた位置から動かないよう求められ、出演者を本番同様に並べてテスト撮影を繰り返しながら進められた。 フォーカス・プラーはダグラス・ミルサムで、本作の撮影監督ジョン・オルコットが参加できなかった『フルメタル・ジャケット』で撮影監督を務めた。 当時のフィルムもASA100程度の低感度で、特別に明るいレンズを駆使してなお増感現像を行いASA200相当で使われた。1980年代に入ると高感度フィルムが開発され、蝋燭照明の下でもより良い画質で簡便に撮影できるようになった、とオルコットは後年語った。 レンズ貸出しにまつわる逸話もいくつか伝えられており、『アマデウス』の撮影監督ミロスラフ・オンドリチェクは要請を断られたが、キューブリックと同じ弁護士と契約していた伊丹十三は「貸してもよいですよ」という返事を受けたという。 キューブリックの没後、超高感度の撮像素子を装備した撮影機材の登場と、技術開発によるノイズの低減により、低照度撮影は飛躍的に容易になった。例えば、2020年時点では、撮影機材の最大感度は、4K撮影においてもASA=ISO409600(SONY製ミラーレスカメラα7S III)や、ISO400万(CANON ME20F-SH)に達している。こうした撮影機材の進歩は、月明かりの下で補助照明なしの人物撮影を容易にし、比較的安価な機材で星空の映像さえ容易に撮影可能となった。これにより、特別に明るいレンズを用いる撮影テクニックは『バリー・リンドン』一作限りのものとなった。
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