リン酸礬土鉱利用の成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:53 UTC 版)
「北大東島のリン鉱山」の記事における「リン酸礬土鉱利用の成功」の解説
東洋製糖はまず関東酸曹肥料の技師、林隆一と米山兆二にリン酸礬土鉱の利用について研究を依頼した。日本国内にはリン資源が乏しく、沖大東島と第一次世界大戦以降のアンガウル島のリン鉱石を含めても需要の約半分しか供給できず、残り半分は輸入に頼らざるを得なかったため、北大東島のリン酸礬土鉱の利用法が見い出されることに対する期待は大きかった。北大東島のリン酸礬土鉱の利用研究は、工業試験場、理化学研究所、大学や肥料会社などでも進められた。 リン酸礬土鉱の採掘、利用については、1850年代にカリブ海の西インド諸島にあるレドンダ島でリン酸礬土鉱が発見され、1888年にフロリダ州、テネシー州でリン酸三石灰の大鉱床が発見されるまでの約30年間、肥料原料として利用された。またアメリカのペンシルベニア州産のリン酸礬土鉱も肥料原料として利用されたことがあった。その後19世紀末にかけて欧米諸国でリン酸礬土鉱の利用法が研究、公表されたものの、経済的な問題もあって実際に工業化された技術は無かった。北大東島のリン酸礬土鉱の利用法について、アメリカとドイツにもその研究を依頼した。 北大東島のリン酸礬土鉱の利用研究は成功した。鉱石を粉末化し摂氏500度から600度で焙焼して、リン酸をクエン酸などに溶解されるようにしたリン酸アルミナ肥料として商品化する目途が立った。主なリン酸系の肥料である過リン酸石灰は水溶性であるため即効性に優れるものの、リン酸が水に溶解して流失しやすいという欠点があった。一方、リン酸アルミナ肥料は植物の根毛から分泌されるクエン酸などに溶解してから作用するため、即効性では劣るものの水によるリン酸分の流失の恐れが少なく、水田などで利用しやすいというという特徴があった。 リン酸礬土鉱の利用の目途が立ったと判断した東洋製糖は新たに大成化学工業を設立した。大成化学は1920年2月、リン酸礬土鉱を用いた製肥法の特許を取得し、東京府下に工場を設け肥料製造、販売を開始した。リン酸アルミナは当初、製品に欠陥があり、また不況の影響も受けて製造販売ともに振るわなかったが、次第に販路が拓けるようになり、リン酸礬土鉱の需要も増大していった。 また北大東島のリン酸礬土鉱の特徴としてリン酸の含有量が多く、良質鉱では50パーセントを超えるものもあった。また成分的にも電気分解によるリンの分離が比較的容易で電力の消費が少なく済むため、純リンの製造に適していた。そこで1920年6月からはリンの製造業者へのリン酸礬土鉱の販売も始められた。前述のように北大東島のリン酸礬土鉱で製造された純リンは主にマッチの製造に用いられた。 そして北大東島のリン酸礬土鉱の利用法として研究が進められたのがアルミニウム原料としての利用であった。北大東島のリン酸礬土鉱はケイ酸や鉄の含有量が少なく、一般的にアルミニウムの原料とされていたボーキサイトよりもアルミニウム製錬に有利であるとして、アルミニウム製錬の実用化に向けての研究が進められた。
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