ラトビア戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 15:14 UTC 版)
7月11日、ティーガー中隊はカラシノ付近の歩兵支援で、敵戦車1輌を撃破した。7月13日、ティーガー中隊は第380擲弾兵連隊に配備され防御戦闘を行った。7月15日、高地を攻撃。カリウス以下ティーガー中隊は8時に攻撃を下令されるも、歩兵部隊との打ちあわせの結果10時に攻撃を開始。地形について段取りを決めてから攻撃を開始したことにより、連繋によって歩兵は容易に陣地を奪回した。またケルシャーが戦車砲2門を撃破、高地を制圧した。しかし後続の突撃砲部隊が適切な位置まで前進、支援を与えなかったためティーガーは後退した。 7月20日、ソ連軍はデューナブルク北東に対し戦車兵力を結集、攻撃発起した。侵入したソ連軍を押し戻して戦線を復元するためにティーガーが投入された。デューナブルクへ移動する最中で、後退する輜重部隊と出会う。街道はパニックを起こした部隊であふれていた。カリウスはキューベルワーゲンで偵察に出かけ、途上、戦車を目撃した下士官の案内でマリナーファ村に敵戦車が集結しているのを確認した。カリウスは自ら偵察した敵情を元に中隊の戦車長と作戦を打ち合わせ出撃した。カリウスとケルシャーのティーガーが村に突入して奇襲、ニーンステット少尉は6輌を率いて待機。カリウスはマリナーファ村入口に2輌の戦車を発見、これを無視して突入し、村の真ん中を走り抜けた。150m離れて突撃したケルシャーはこの2輌を粉砕した。村にいたT-34の7輌とIS-2が10輌撃破された。たやすく撃破できた理由は、ソ連軍戦車の搭乗員たちが戦車を出て、村で徴発を行っていたためであった。同時刻、ニーンステット少尉はカリウスの指示により、高地を占めてソ連軍の挙動の監視にあたった。ソ連軍を逃さず、本隊との連絡を遮断するためであった。村にいたのは敵戦車の先遣部隊であり、主力はさらに後方に位置し、マリナーファ村に向かいつつあった。カリウスは、死亡したソ連将校が持っていた地図から敵の攻撃企図を読み取り、東へ10キロほど移動して待ち伏せ攻撃を加えた。攻撃はティーガー6輌で行われ、縦列を組んで街道を前進する主力部隊は打ちのめされた。敵戦車28輌が撃破され、トラックが全て破壊された。7月22日、カリウスのティーガーは、IS-2戦車と砲撃戦により起動輪を破損。88mm砲を命中させるも弾かれた。 7月24日、カリウスはデューナブルク周辺の敵情偵察のためにオートバイのサイドカーに乗り、2輌の戦車と共に出発した。途中分岐点でティーガーと別れ、森を観察に行く。不運なことにカリウスとオートバイの運転手はソ連軍に遭遇し、カリウスは銃弾5発を受ける重傷を負った。発砲音を聞いたティーガーが救助に駆け付けたものの、ソ連将校が至近距離からカリウスに向け拳銃を3発発砲。うち1発が命中、カリウスの首の脊髄をかすった。奇跡的に動脈などの重要器官は外れた。カリウスは病院へ後送された。7月中にシラーは中隊長から訓練学校へ転属された。
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