モースハイム
モースハイム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 14:10 UTC 版)
モースハイムは1974年に成立したマルスフェルトの町で最も古い集落である。 この集落の人口は約 480 人であるが、新興住宅地によりさらに増加している。近代的な下水道網が整備された後、多くの通りが刷新された。ヘッセン州の村落再生プログラムに伴って、リンデン広場に泉が設けられ、記念碑が新しい広場に建てられ、緑地整備により集落は装いを新たにした。この集落には約 30 社の企業や小売店がある。 モースハイムの中心部の風景は、専業農家は残りわずかとなったにもかかわらず、鄙びた農家の建物によって形成されている。空の厩舎は、馬の愛好者たちが実際に使用している厩舎よりも多くなっている。モースハイムの人々の社会的・文化的生活は、農民婦人会、愛鳩会「モーゼンベルガー・ボーデ」、スポーツクラブ TSV オスト=モースハイム、郷土協会などが担っている。消防団は訓練・休憩施設を有している。公民館は、家族の祝い事やサークル活動、様々な集会などに利用されている。 モースハイムの歴史:地名の語尾に「-heim」がついていることは、この村落が400年から800年頃に成立したことを示している。おそらく500年頃から北部ヘッセンを支配し、ガウの首邑ビューラベルクを中心に組織化されたフランク人によって、この村落は建設された。ヘルスフェルト修道院の文書 "Breviarum Lulli" の中に "Mazheim" という表記で初めて記録されている (maz は「食事」を意味する)。ヘッセン州立文書館は、この記述が、ヘルスフェルト司教ルルの亡くなった年になされたと推定してる。これに基づき、モースハイムは 2011年に 1225年祭を開催した。さらに、"Codex Eberhardi" の中のヘッセンガウからフルダ修道院への寄進状にもモースハイムが記録されている。この寄進状は、ラトガールが修道院長だった時代(802年から817年)のものである。この村落は、1266年には Masheim、1376年には Moßheym、1428年には Maßheim、1600年には Mosheimb と表記されている。1194年にヘルスフェルトの修道院長ジークフリートは、ジッパーハウゼンの教会と "Mazheim"の支部教会をブランケンハイム修道院に寄贈した。1324年、この村はコンラート・フォン・ヘーベルを介してヘッセンの支配下に入った。1219年から1450年まで、モースハイムには在郷貴族があった。 1896年10月26日、火災により村の東部にあった多くの家屋、家畜小屋、納屋や穀物倉庫がその犠牲となった。再建された建物の建築様式の違いが、この火災による被害の大きさを今日まで伝えている。 コンクリート製の教会塔が近代的な教会とつながっているが、その背後にある教会の本堂は1500年頃に建設された後期ゴシック建築である。この集落の礼拝堂は1174年にはすでに記録が遺る。三十年戦争で一部が破壊された教会は1752年に増築された。この教会は1969年に完全に現在の姿となった。 1974年から、この町には墓地礼拝堂が設けられている。1992年にモースハイムでカトリックの神事が行われた。カトリック信者らは45年間、かつてのダンスホールで集会を行っていた。
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