メキシコでの挑戦者決定戦
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「荒川仁人」の記事における「メキシコでの挑戦者決定戦」の解説
2012年11月24日、メキシコシティで開催された興行 Gala Ring Telmex 2012 のメインカードで、WBC世界ライト級挑戦者決定戦12回戦に出場。練習ではメキシコを訪れていたものの日本国外での試合は自身初であった。同級1位として2位のダニエル・エストラーダ(メキシコ)と対戦したが、11回開始時にエストラーダの右目の腫れを理由として試合は止められ、荒川は0-3の10回終了負傷判定負けを宣告された。採点は92-98が2者と 91-99。この試合にはエストラーダの持つWBC世界ライト級シルバー王座も懸けられていた。リングサイドで観戦した日本人記者によれば、荒川はラウンドごとにエストラーダの顔面を打ち、重いパンチを何度も当てて試合を支配したが、その打撃はヘッドバットや肘打ちと裁定され、ストップの原因となったエストラーダの右目の腫れも5回に起きた偶然の肘打ちによるものと判断されていた。また、同じくリングサイドで取材していた日本人カメラマンによると、エストラーダの右目の腫れの原因は当初、5回に起こった偶然のバッティングによるものとされ、負傷していない方から減点するというWBCルールにより、荒川は1ポイントを失った。その直後、WBCとメキシコシティ・コミッションによる映像確認の結果、ヒッティングによるものと変更されて減点は取り消された。荒川のパンチによる腫れと変更されたことでTKO負けの危機感を覚えたエストラーダ陣営がコミッションや立会人に再度の映像確認を要求し、7回終了後のインターバルは通常の1分を大幅に超えることになった。この時点では、ヒッティングの裁定のまま試合は進行したが、試合が止められた後で荒川の肘が偶然当たったことによるものと再度変更され、改めて1ポイントの減点が荒川に課された。荒川は当初から「倒さないと勝てない」と覚悟を決め、試合が止められた時も攻勢をかけた直後だった。荒川陣営は荒川のパンチによるTKO勝ちを主張して猛抗議したが、レフェリーは受け入れなかった。 メキシコのウェブサイト BoxNoticias.net の記事はエストラーダの優位に疑いの余地はなかったとしながらも、物議を醸す判定として経過を伝えている。この記事によれば、エストラーダの右目の腫れにより、リングドクターは8回に試合の続行を認めなかったが、レフェリーはドクターを無視して試合を続けさせた。しかしさらに2ラウンドを経て試合を止め、日本人と観衆の妥当な抗議を受けた。同記事は直接再戦をしてその勝者を挑戦者とするべきだとしている。現地紙 El Siglo de Torreón のウェブサイトでもこの一方的な負傷判定決着が物議を醸したことが記され、同じく現地紙の ESTO のウェブサイトでは、エストラーダの負傷判定勝ちがブーイングを浴びたことが報告されている。また、同国の総合誌 Contenido のウェブサイトでは、試合の勝者は間違いなく荒川であったと断じ、エストラーダを勝たせた判定は大きなブーイングに包まれ、第4回を数えて概ね成功を収めたこの興行を台無しにしたとしている(興行のベースとなっているテルメックス財団のプロジェクトの詳細についてはテルメックス#リングテルメックス (RING TELMEX) を参照)。 WBCは、ドクターが試合を止めた後に荒川がTKO勝利していなければならなかったとする荒川陣営の正式な抗議を受け、翌25日に、検討委員会が映像を分析して決断を下すとの声明を発表した。その後エストラーダは判定の正当性を訴えたが、荒川陣営は12月2日から開催されるWBC総会でも、試合の見直しを求めることを決めた。荒川の所属ジムによれば、試合のレフェリングはWBCの立会人の発言に左右されていたが、それによってエストラーダの腫れの原因や荒川の減点の有無が再三変更されていたことは試合会場で公表されず、荒川の戦略を展開に応じて修正する上で重大な支障を来していた。総会で荒川陣営は、この試合を無効試合とすることを求めたが受け入れられず、判定が覆ることもなかった。代わりにWBCは両者の再戦を指示し、中立地での開催を促す意向を示した。
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