メキシコでの座礁事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 09:59 UTC 版)
「浅間 (装甲巡洋艦)」の記事における「メキシコでの座礁事故」の解説
第一次世界大戦では太平洋のドイツ領の攻略に参加した。ドイツ東洋艦隊による通商破壊に備えて、巡洋艦出雲、戦艦肥前に加えて、イギリス、カナダ、オーストラリア艦と共同で北アメリカ西岸における哨戒にあたった。 1914年(大正3年)12月31日にメキシコカリフォルニア半島西岸のマグダレナ湾において、海図に記載のなかった暗礁に乗り上げ座礁した。航行不能となった浅間に対して巡洋艦千歳、工作艦「関東」、補給船が日本から派遣され、「関東」によりサルベージされ横須賀に戻った。 事故の報を受けたアメリカ海軍は、砲艦「ラレー」と巡洋艦「カリフォルニア」をサンディエゴから調査の為に派遣した。両艦は「浅間」に対して中立に違反しない範囲での協力・援助を申し出、「浅間」艦長も、米海軍は「好意上来港シタルコト疑イモナク」と報告している。 ところが4月になりアメリカの「ロサンゼルス・タイムズ」は、湾内に停泊する「出雲」、「常磐」、「千歳」、「浅間」、補給艦、英艦の写真を付して、「日本は故意に「浅間」を座礁させた。機雷で湾を封鎖し4000人の水兵を用いて陸上に基地を建設しつつある。アメリカを攻撃する意図があるのではないか」との扇情的な記事を掲載した。再度派遣された米艦「ニューオーリンズ」艦長は、「浅間」艦長と形式的な会談を行った後に帰国し、「浅間」の座礁は単なる事故であり機雷や基地建設の風聞は全て誤りであると断言した。ところがハースト系のイエロー・ペーパーやドイツ系新聞は問題を煽り続けた。当時メキシコにおいて発生していた内乱、アメリカ西海岸における排日感情の他に、ドイツによる日米離間の情報工作が背景にあるとみられる。
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