マクダイアミッド&ヒーガーとの共同研究
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「白川英樹」の記事における「マクダイアミッド&ヒーガーとの共同研究」の解説
1975年にアラン・マクダイアミッドが資源研を訪れた際、SXNX の金色の結晶を持参していたことから、白川の合成していた銀色のポリアセチレン薄膜との相関性を感じた山本明夫に紹介を受けた。マカダイアミッドはこの薄膜に非常に興味を示し、その場で共同研究を提案してきたという。 1976年にペンシルベニア大学のマカダイアミッドの研究室の博士研究員となり、同年9月のレイバー・デー明けから当地での研究を始めた。ポリアセチレンの電気伝導性を高めるためにハロゲンへのドープを行うことにした。同年11月23日に,測定用の端子を付けたポリアセチレンをアルゴンガスを満たした三角フラスコ内に入れ、ハロゲンの一種である臭素を注射器で滴下したところ、わずか1滴で4-5桁も試料の電気抵抗が下がり、最終的に電気抵抗は1,000万分の1まで減少してマカダイアミッドやヒーガーも交えて大騒ぎとなった。数日間の追試により、金属-絶縁体転移が起きるこの現象の再現性が確認され、さらに二重結合に付加反応を起こさないヨウ素の方がさらに効果的であることが分かった。 この発見に関する第一報を『Chemical Communications』に出し、さらに化学系のマカダイアミッドが『Journal of the American Chemical Society』、物理系のヒーガーが『Physical Review Letters』にそれぞれ論文を投稿することを協議により決めた。しかしChemical Communications以外の投稿は査読の段階で現象自体に疑問を持たれ、すぐには受諾されなかったという。 このため、1977年6月にニューヨークで開催される低次元物質の合成と物性に関する国際学会において、デモンストレーションの実験を行うことをマカダイアミッドが提案した。日本の学会ではやらないような子供じみた取り組みだと感じられ、また実験面でもテフロン製のストップコックから空気が漏れてハロゲンの拡散を阻害してドープが進みにくくなるという懸念もあって、白川は当初これに反対した。結局、蒸気圧を高めるために臭化ヨウ素のようなハロゲン間化合物を用い、さらにドーパントの容器を温めるために湯を準備するなどの対策を行って公開実験を行い、ポリアセチレンの電気抵抗が低下した際に豆電球が点灯させることに成功した。聴衆の化学者らに大きな驚きを与えたという。 ヒーガーの論文は同年10月にPhysical Review Letters、マカダイアミッドの論文は1978年2月にJournal of American Chemical Societyにそれぞれ掲載されている。
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