ホワイトオーク道路、ハッチャーズランの前線
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「第三次ピーターズバーグの戦い」の記事における「ホワイトオーク道路、ハッチャーズランの前線」の解説
アンドリュー・ハンフリーズ少将の第2軍団は、ハッチャーズランからホワイトオーク道路に走る前線で、南軍ヘンリー・ヒース少将の師団と対峙していた。4月1日のファイブフォークスの戦いで北軍が勝利した後、グラントから午後9時に発せられた南軍前線に対して即座に強襲を掛けよという命令に反応して、ハンフリーズはネルソン・マイルズとガーショム・モットの師団に即座の攻撃を命令した。南軍の大砲が発砲してきたので、北軍は南軍の哨戒線を追い払う以上のことができなかった。続いて、グラントが命令していたように、マイルスの師団が真夜中前にシェリダンの元に派遣されたが、モットとヘイズの師団は南軍前線の探査を続けていた。 4月2日午前6時、ハンフリーズは第6軍団が進軍を成功させたという報告書に接し、ハッチャーズランの傍のクロウ・ハウス堡塁など、第2軍団の前線に対面する堡塁への強襲をヘイズに命じた。この攻撃で南軍の堡塁、その大砲と守備兵の大半を捕獲した。午前7時半頃、モット隊がバージェスミルで南軍の哨戒線を占領し、午前8時半には南軍塹壕線の右側面を強襲し、即座に兵を追い出した。午前8時半までに、ハンフリーズの師団がバージェスミルからクレイボーン道路まで南軍の工作物を確保していた。南軍の守備兵は北西のサザランド駅に後退した。 午前9時、ハンフリーズはマイルスから、戻って来ており、ホワイトオーク道路沿い、クレイボーン道路の西約2マイル (3.2 km) に達しているという伝言を受け取った。ハンフリーズはマイルス、モット、ヘイズにクレイボーン道路をサザランド駅方向に南軍を追撃するよう命じた。そこではサミュエル・マクゴワン、ウィリアム・マクレイ、アルフレッド・ムーア・スケールズ各准将の旅団、ヒル軍団ヘンリー・ヒース少将の師団のジョン・R・クック准将の旅団で構成される南軍の後衛を攻撃できると期待された。さらにリチャード・H・アンダーソン中将の指揮下にブッシュロッド・ジョンソンとジョージ・ピケット各少将の師団とフィッツヒュー・リー少将の騎兵隊があった。北軍ミード将軍はこの行動を認めておらず、ハンフリーズにはその部隊をピーターズバーグの方向に動かし、ライト将軍の部隊と連携するように命じた。 ハンフリーズはマイルスの師団とサザランド駅で出会ったが、その時はヒースの師団と出くわしたときであり、戦闘が始められていた。マイルスは、このときジョン・クックが指揮していたヒースの隊を破ることができると確信していた。ヒースはこのときピーターズバーグに呼び戻され、戦死したA・P・ヒル中将の後を受けて、その軍団指揮を執っていた。後にハンフリーズは、マイルスに会ったときにシェリダンにも会っており、シェリダンはマイルスの師団が依然として自分の指揮下にあると言ったと、語っていた。シェリダンは後に、ハンフリーズに指揮権を渡したと言っていた。いずれにしても、ハンフリーズとシェリダンはマイルス一人に、4個旅団約8,000名を渡して、サザランド駅の戦いでクックの部隊と戦う任務を与えた。ハンフリーズは続いてピーターズバーグに通じる道路を戻って、他の2個師団に合流した。マイルスは第2軍団や第5軍団の残り部隊から支援も無いままに間もなく、十分な陣地を占めた南軍に対抗する難しい任務に直面することになった。 クックは4個旅団、総計約1,200名を指揮しており、ヒースから既にサザランド駅にあった輜重隊を守るよう命令されていた。ヒースは戦闘が始まる前に指揮をクックに任せて、リーの作戦本部に行っていた。クックの部隊は鉄道に並行するコックス道路にそって長さ約0.5マイル (800 m) の土盛り工作物の細い前線を造り上げており、前面にはやや傾斜した700ヤード (640 m) の野原が開けていた。ヒースはクック隊をサザランド酒場とオクラン・メソジスト教会との間の都合の良い土地に置いており、左側面が止められ、前面には散兵として狙撃兵を置いていた。サザランド駅の南軍全軍は、参謀の推計で約4,000名となっていた。 マイルスはまずクックとハイマン(スケールズ)に対して、ヘンリー・J・マディル大佐(名誉准将)の旅団だけで攻撃を掛けた。マディル隊は夜間と朝の行軍で疲れており、攻撃兵が決死の覚悟をして当たったにも拘わらず撃退されたときに、マディル自身も重傷を負った。マイルスは続いて、マクレイとマクゴワンの隊に対して、この時はクリントン・マクドゥガル大佐(名誉准将)が指揮していたマディルの旅団に再度、さらにロバート・ヌージェント大佐の旅団に攻撃させた。この2個旅団が再度撃退され、マクドゥガル大佐が負傷した。マイルスは部隊を再編する時間を置いた後、午後4時の攻撃でついに南軍の右翼に打ち勝った。このときはマクドゥガルとヌージェントの旅団と、ジョン・ラムゼイ中佐(名誉准将)の旅団で強力な散兵線を構築しており、捕虜600名を取り、大砲2門と戦闘旗1本を捕獲した。 マクゴワンの隊が遂に敗れたとき、クックの旅団が東から西に崩壊したが、クック自身の旅団は前線の端から遠くにあり、他の残存兵が逃亡したよりも、秩序を保って撤退することができた。死傷兵にも捕虜にもならなかった南軍兵はアポマトックス川方向に撤退し、大半はアメリア・コートハウスに向けて算を乱して移動した。ピーターズバーグへの最後の供給線であるサウスサイド鉄道は、北軍に拠って完全に遮断されていた。しかし、マイルス隊の多くはあまりに疲れており、南軍逃亡兵を追撃できなかった。マイルスは、シェリダンが敵軍をピーターズバーグの方向に追い落とすよう命令したと理解していたので、その方向に自分の師団を向けさせた。 午後2時半、ミードはマイルスが苦心していることを知って、ハンフリーズに配下の師団の1つをサザランド駅に戻してマイルスを支援するよう命令した。ハンフリーズがヘイズの師団と共にサザランド駅に到着した時までに、マイルスの最後の攻撃が成功していたことが分かった。マイルスとヘイズの部隊は鉄道を守るためにサザランド駅近くで宿営した。ハンフリーズは後に、第2軍団がその朝にサザランド駅に居続けることができておれば、南軍の全軍をおそらく捕獲できていただろうと記した。 サザランド駅における南軍の損失は、600名が捕虜に取られたこと以外は不明である。マイルス隊の損失は366名だった。 シェリダンの騎兵隊と第5軍団は、南軍と第2軍団がその地を離れた後で、ホワイトオーク道路沿いの空いた工作物を占領した以外のことはしていない。
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