ミード将軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:00 UTC 版)
「エイブラハム・リンカーン」の記事における「ミード将軍」の解説
その後任はジョージ・ミードとなった。ミードはリー軍を追ってペンシルベニア州に入り、そのゲティスバーグ方面作戦は北軍の勝利となったが、リー軍は撤退に成功した。リンカーンはリーがバージニアに逃げ帰ったと知らされ、これまでになく落胆し、怒りを爆発させた。「われわれの軍隊は戦争を手のひらにつかまえたのに閉じようとしなかったのか」と口惜しがった。これと機を同じくして、当初は挫折していたグラントがビックスバーグを占領し、海軍はチャールストン港で幾らかの成功を収めた。ゲティスバーグの戦い後、リンカーンはその命令を陸軍長官あるいは総司令官を通じて将軍達に伝えることで、その軍事的判断がより効果的に遂行されることをはっきり理解した。将軍たちは自分たちの作戦に文民の干渉があることに不満を感じていた。それでもリンカーンは最高司令官として将軍達に詳細な指示を与え続けることが多かった。
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