ベルゲンズ・ティーデンデ(ベルゲン・ジャーナル)の記事
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「ヴァルグ・ヴィーケネス」の記事における「ベルゲンズ・ティーデンデ(ベルゲン・ジャーナル)の記事」の解説
1993年1月、ノルウェーの最も大きな新聞の一つ、ベルゲンズ・ティーデンデ(英語版) (Bergens Tidende, BT)の記事によって、ブラックメタル・シーンは一躍メディアのスポットライトを浴びることになった。ヴィーケネスの友人2人が彼にインタビューし、これを印刷するために、そのインタビューをこの新聞社へ持ち込んだ。この匿名のインタビューで、'カウント・グリシュナック' (Count Grishnackh、ヴィーケネスのステージネーム)は、複数の教会への放火とリレハンメルでの男性を殺害をしたと主張した。ベルゲンズ・ティーデンデのジャーナリスト、フィン・ビヨルン・トンデル (Finn Bjørn Tønder)は、友人たちの協力を得て、'カウント・グリシュナック'との面会を行った。記者たちは、あるアパートメントに呼び出され、伝えられるところでは、警察が呼ばれた場合、彼らは短時間でそれを終えることになると警告されていた。そこでは、ヴィーケネスと彼の仲間が、記者たちに自分たちが教会の放火を行った、もしくは誰が教会に放火したかを知っていると述べ、加えてこの攻撃はまだ続くだろうと語った。彼らは、悪魔崇拝者であることを主張し、次のようにコメントしている。「我々の目的は、恐怖と邪悪な行為を広げることだ。[...]これが、われわれがベルゲンズ・ティーデンデにこれらを告白した理由だ」彼らは、記者たちに一度も報道されていない放火についても詳細について語った。ベルゲンズ・ティーデンデは新聞の発刊前に、この放火の詳細を確認するために警察に連絡している。このインタビュー記事は、1月20日のベルゲンズ・ティーデンデの表紙に掲載された。その見出しは、「我々が火を放った」で、顔はほとんど隠れていたものの、2本の大きなナイフを持っているヴィーケネスの写真が掲載された。しかしながら、この記事が印刷されるまでに、ヴィーケネスは既に逮捕されていた。伝えられるところでは、警察は、バーズムのフライヤーの記載された住所に向かう際にヴィーケネスを発見し、逮捕に至った。しかし、ヴィーケネスは、トンデルがヴィーケネスを警察に売ったと信じている。 ヴィーケネスによれば、この匿名のインタビューはヴィーケネスとユーロニモスとで計画されたものだった。彼が言うには、その目的は、人々を恐怖に陥れること、ブラックメタルを宣伝すること、そしてユーロニモスの経営するレコードショップであるヘルヴェテ (Helvete)の顧客を増やすことにあったという。この時、バーズムはちょうどEP『Aske』をリリースする時期だった。ヴィーケネスはインタビューで次のように述べている。「俺は様々な部分を誇張したんだ。だから、記者どもが帰った後、俺達は大笑いしたんだ。なぜなら奴は、俺が奴をからかっていることに全く気付いていないようだったからな」。更にヴィーケネスは、その記事にはヴィーケネス自身が犯罪に加担していることを証明できるようなものな何も無かったと明らかにしている。逮捕後にヴィーケネスは以下のように主張している。「記者どもはインタビューを編集し、[...]一度も俺に記事の内容を読ませることなく、後日、狂っているように見える解釈で発刊したんだ」 。ブラックメタルシーンの他のメンバーの数人も同じく逮捕され、尋問された。しかし、それらすべての嫌疑は証拠を欠いていた。ブラックメタルバンド・ハデス(英語版) (Hades)のメンバー、ヨルン・インゲ・トンスベルグ(英語版) (Jørn Inge Tunsberg)はこのインタビューが残るブラックメタルシーンに「悲惨な結果」をもたらしたと語った。それに「奴は何も言っちゃいない」ということだったから、シーンの誰もが奴らが出版社に話すなんて知らなかったとも述べている。そして、シーンの奴らは「激怒」したし、トンスベルグ自身は「うんざりした」と付け加えた。 1993年2月には、ヴィーケネスのインタビューがノルウェーの雑誌「ロック・フローラ」に掲載された。その中で、ヴィーケネスは刑務所のシステムについて語っている。「そこ(刑務所)は素晴らしすぎる場所だ。全くもって地獄ではないよ。俺たちの国の囚人たちは、ベッドにトイレ、シャワーまで与えられる。本当に馬鹿げたことだ。俺は警察に、本当の地下牢にぶち込んでみろと言いたいし、暴力の使用を奴らに奨励したいね」。ヴィーケネスは、証拠不十分で3月には釈放された。 このエピソードから少しして、オスロ警察はこの教会放火事件の捜査班をベルゲンへと派遣した。そこで、彼らは暫定本部をホテル・ノルゲ (Hotel Norge)に設置した。『ブラック・メタルの血塗られた歴史』によれは、警察の報告書を引用し、ヴィーケネスはそのドアをノックし、「事実上、彼の方法でそのスイート (本部)に侵入しようとした」と書いている。彼は、「鎖帷子に身を包み、ベルトには2本の大型ナイフを装備し、ヴィーケネスのボディーガードか取り巻きであるかのようにふるまう2人の若い男を傍においていた」。ヴィーケネスは、「権力者達に悩まさせられ、うんざりしていると語り、加えて警察のブラックメタルシーンに対する取り調べを止めるように述べた」。ヴィーケネスには警察に命令する権限がないと言われると、ヴィーケネスは「一歩下がって、ローマ式敬礼をしている」。
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