ブリティッシュ・フォークロックの発展
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「フェアポート・コンヴェンション」の記事における「ブリティッシュ・フォークロックの発展」の解説
1969年5月12日、バーミンガムのクラブ、マザーズでのギグの帰り道、フェアポートのバンがM1モーターウェイでクラッシュした。この事故でわずか19歳のマーティン・ランブルとリチャード・トンプソンのガールフレンドだったジーニー・フランクリンが死亡した。バンドの残りのメンバーは様々な重軽傷を負った。 ハイド・パークで追悼コンサートが開かれ、ローリング・ストーンズ、キング・クリムゾンなどが参加した。事故の傷手は大きく解散が話し合われたが、ジョー・ボイドの助言、次作構想がまとまりつつあったことで活動続行を決め、オーディションでジュニア・アイ(en)に参加していたデイヴ・マタックスがドラムスを担当し、『アンハーフブリッキング』に参加していたデイヴ・スウォーブリックがフル・メンバーとして参加することで再結成された。ボイドはハンプシャー州ウィンチェスター近くのファーリー・チェンバレインの借家でバンドを立ち上げ、そこで療養しながらイギリスのフォーク・ミュージックをロックンロールに融合させることに取り組んだが、これが4枚目のアルバム『リージ・アンド・リーフ』を生み出すことになった。 通常、バンドの長いキャリアの頂点とされるアルバム『リージ・アンド・リーフ』は、コンセプトと音楽性の面で大きな飛躍を遂げた。このアルバムは、トラディショナルな6曲と、同様のスタイルのオリジナル作品3曲で構成されている。トラディショナルなトラックには、7分を超える長さの「タム・リン (Tam Lin)」と8分を超える長さの「マティ・グローヴス (Matty Groves)」の2つの持続的な叙事詩が含まれていた。トラディショナルな4曲のメドレーは、他の多くの曲と同様にスウォーブリックのエネルギッシュなフィドルの演奏によってアレンジされ、盛り上げられている。A面はオリジナル曲の「カム・オール・イェ (Come all ye)」と「フェアウェル・フェアウェル (Farewell、Farewell)」で囲まれるように構成されており、これに加えてハッチングスが研究してきたイギリスのフォークの伝統を解説した見開きカバーの内側の情報もあり、コンセプト・アルバムのようなアルバムに仕上がっている。「フェアウェル・フェアウェル」と最後のトラック「クレイジー・マン・マイケル (Crazy Man Michael)」では、バンドへの貢献とその後のソロキャリアを特徴づける、トンプソンの特徴的な作曲の才能の完全な現われを見ることができる。このアルバムの特徴的なサウンドは、エレクトリック・インストゥルメントの使用とマタックスの規律正しいドラミング、そしてスウォーブリックのフィドルの伴奏による、トラディショナルとロックとの驚くべきパワフルな組み合わせから生まれた。バンド全体の音楽性は新たなレベルに達しており、トンプソンの流れるようなギタープレイとデニーの「エーテルのような」ボーカルはこのアルバムのサウンドを特に特徴づけていた。オールミュージックのレビュアーがこのアルバムを評したように、このアルバムの特徴は「時代遅れのフォークとエレクトリック・インストゥルメントを融合させながら、両方を尊重している」ということにあった。 これまでにもストローブスやペンタングルなどのいくつかのイギリスのバンドが、イギリスの伝統的な曲を電気楽器で演奏するという実験を行っていたが、フェアポート・コンヴェンションはイギリスのバンドとしては初めて、協調性と集中力を持った方法でこれを行った。フェアポート・コンベンションの功績はフォーク・ロックを発明したことではなく、フォーク・ロックというジャンルの中に、アメリカの影響を受けた音楽と一緒に発展し、それと相互作用しながらも、フォーク・ロックに対抗する国民的な反応として明確に見られるような、イギリス的な分派を創り出したことである。 『リージ・アンド・リーフ』1969年末にロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで行われたソールド・アウト・コンサートで売り出された。そして、イギリスのアルバム・チャートでは17位を記録し、15週間チャートにとどまった。
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