フリーアナウンサーになる経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 04:38 UTC 版)
「フリーアナウンサー」の記事における「フリーアナウンサーになる経緯」の解説
大別して3種類ある。 局アナが放送局を退職して、フリーアナウンサーになる。男性の場合は主に30代後半から40代にかけて転じることが多い(理由としては異動(管理職登用、総務・編成業務など他部署への転勤、関連子会社への出向など)になることで現場から遠ざかることを良しとしない場合や自局では成功しているが他局でも挑戦してみたいといった上昇志向といった場合など)が、定年(または定年後一定期間の嘱託職・役員待遇を2~3年勤めた後も含め)退職後にフリーとなる者(制作・営業・コンテンツ管理など他の業務に従事した後、退職後にアナウンサー業を再開した者を含む)もいる。 女性の場合は結婚に伴い夫の仕事上での転勤や、出産、育児に専念する時間を確保するため等の理由が多い。地方局の局アナを退職後、フリーアナウンサーを経験してから、別の放送局の局アナ・キャスター・記者に転職する例も見られる(例:丸岡いずみ、丸岡の場合は北海道文化放送アナ→フリー→日本テレビ報道記者→フリー)。その他、局の男性プロデューサーやディレクターなどから受けるセクシャルハラスメントが原因との向きもある。 放送局退職の場合、古巣局への義理立ての意味もあり、フリー転身直後は一定期間(通常は半年から1年)他局への出演を控えるという慣例がある(明確に一定期間他局に出演しないと古巣局と取り決めを持つ場合もある。系列局制作番組や企業のコマーシャル、テレビ単営局の場合はラジオ番組への出演はフリー転身直後でも可能の場合あり)。その一方で、大塚範一、小倉智昭、露木茂、羽鳥慎一のようにフリー転身の翌月から他局でレギュラー番組を持つという例外もある。特に小倉は東京12チャンネル(現:テレビ東京)を退職した翌日に、ニッポン放送『大橋巨泉の日曜競馬ニッポン』の総合司会に就任した(小倉をフリーアナウンサーにスカウトした大橋巨泉の尽力があった)。また羽鳥は日本テレビを2011年3月31日に退職し、同年4月4日にテレビ朝日でレギュラーでの冠番組を開始させる形であった(この時は日本テレビ・テレビ朝日両社上層部との話し合いがあったという)。羽鳥のこの離れ業でフリー転身後の身でも他局からの仕事を請けやすくなったという向きもある。 また、フリー転身後も他局ではほとんど仕事をせず、古巣局制作番組しかほぼ出演しないという人物も存在する(例:一時期の三雲孝江・小宮悦子・高島彩、ラジオ局の元アナウンサーなど)。 他の職業から転職して、フリーアナウンサーになる。例:小谷真生子 最初から、フリーアナウンサーになる。例:吉田恵(セント・フォース)所属。 男性・女性を問わず、フリーになる時期も様々だが、得意・専門分野での活動ができなくなったり、放送局内での人員配置転換などで管理職やアナウンサーとは別の部署へ異動する例、キー局でのアナウンサー試験に失敗し結果地方局(名阪準キー局含む)で契約職のアナウンサーとして活動したのち東京に転機を求めるなど、自身のアナウンサーとしての職業意識のモチベーションなどにより、芸能事務所や制作プロダクションなどに自らオファーをしたり、ヘッドハンティング的にスカウトされたりしてフリーアナウンサーになる場合も少なくない。
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