フランス_(客船・2代)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フランス_(客船・2代)の意味・解説 

フランス (客船・2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/04 00:08 UTC 版)

フランス
SS France
香港港にて(1974年)
基本情報
船種 客船
船籍 フランス(1961 - 1974)
 ノルウェー(1979 - 2005)
リベリア(2006 - 2008)
所有者 カンパニー・ジェネラール・トランザトランティーク(1961 - 1974)
ノルウェージャン・クルーズ・ライン(1979 - 2005)
運用者 カンパニー・ジェネラール・トランザトランティーク(1962 - 1974)
ノルウェージャン・クルーズ・ライン(1980 - 2003)
建造所 アトランティーク造船所
母港 ル・アーブル(1962 - 1974)
オスロ(1980 - 1987)
ナッソー(1987 - 2003)
建造費 4億2000万フラン
IMO番号 5119143
改名 ノルウェー(1980 - 2005)
Blue Lady(2006)
経歴
起工 1957年9月7日
進水 1960年5月11日
竣工 1961年11月19日
就航 1962年2月3日(CGT)
1980年5月6日(NCL)
運航終了 1974年10月24日(CGT)
2003年9月25日(NCL)
最後 2008年インドにて解体
要目
総トン数 66,343トン(竣工時)
70,202トン(NCL就航時)
76,049トン(1990年改装時)
長さ 316.1 m
型幅 33.8 m
喫水 10.8 m
最大出力 160,000馬力
最大速力 35ノット
航海速力 30ノット
旅客定員 2,044人(竣工時)
1,944人(NCL就航時)
2,565人(1994年以降)
乗組員 1,253人(竣工時)
875人(NCL)
テンプレートを表示

フランス (SS France) は、カンパニー・ジェネラール・トランザトランティーク(CGTもしくはフレンチ・ライン 現・CMA CGM)が運用した遠洋定期旅客船(オーシャン・ライナー)。サン=ナゼールアトランティーク造船所で建造、1962年2月に就役した。建造途中の1960年時点で最長の旅客船であり、これは2004年に全長345mの「クイーン・メリー2」が建造されるまで世界最長の船であった。

「フランス」は1979年にノルウェージャン・クルーズラインによって購入され、「ノルウェー」と改名、改造が施された。2006年にスクラップとして売却され、2008年後半に解体が完了した。

「フランス」時代

「フランス」は、フレンチ・ラインの客船として、1957年10月7日にて起工された[1]。船台は「ノルマンディー」が建造されたのと同じ場所である。1960年5月11日に進水式を迎え、シャルル・ド・ゴール大統領夫人のイヴォンヌ・ド・ゴールフランス語版により「フランス」と命名された。1961年11月19日に完成し、翌1962年2月3日に北大西洋航路に就航した。

試運転時の最高出力は17万5千馬力、速度は35.21ノットを記録したが、ブルーリボン賞を獲得していた「ユナイテッド・ステーツ」には及ばなかった。処女航海では平均速度約31ノットを記録している。

「フランス」は、2月~11月までル・アーブルサウサンプトンニューヨーク間の定期航路に就航し、12月から1月にかけては、入渠整備やカリブ海でのクルーズを実施していた。

船内11の公室は11人の造船芸術家にそれぞれ個性を発揮して行わせた[2]

「フランス」の船内サービスは評判となり、特に古典フランス料理を提供していたレストランは、当時の料理評論家から「種類が豊富で優れた料理の数々には驚嘆する。これほどの最高の味を堪能させてくれる場所は他にはない」[3]との高い評価を得ていたが、1960年代には大陸間の移動手段はすでに航空機の時代となっており、夏の旅行シーズンを除いて満室になることはなかった。一方で1航海に要する燃料は6000トンに及び、また多くの乗組員に対する人件費などの諸経費も膨大な額となることから、年間を通して巨額の赤字[4]を記録し、フランス政府から多額の運航補助金を得て(一部の国会議員やマスコミから、国威発揚に名を借りたド・ゴール大統領の個人的事業だとの声もあった。実際に、建造当時のフランス国内は不況で、議会は反対していたが、ド・ゴール大統領の「フランスの栄光のため…」の鶴の一声で予算決定した[2])運航を続けていた。

フレンチ・ラインでは、新たな乗客層獲得のため、1972年1974年のオフシーズンに3ヶ月間の世界一周クルーズを実施する。しかし、本船はそのサイズからパナマ運河の通行ができず、ホーン岬経由にしたため航海距離が長くなった。結果、クルーズスタッフや消耗品を輸送するために、本国~寄港地間に航空便を仕立てたり、タンカーをチャーターし燃料補給を行うなど、大変な手間と時間、経費がかかり[5]、さらなる赤字を招いた。ついに1974年には、ド・ゴールの政敵であるヴァレリー・ジスカール・デスタンが大統領に就任したことから、長年運航補助金を支払っていたフランス政府より、補助金支給打ち切りが通告された[2]。フレンチ・ライン単独では巨額の赤字に耐えられず、ついに「フランス」の運航中止を決断した。1974年9月11日に最後の北大西洋航路での運航を終了し、運航停止に反対する乗組員と諍いがあったものの、1974年12月をもってル・アーブルに係船された。

「ノルウェー」時代

「フランス」は、1977年にいったん買い手が付いたものの、再利用されずにそのまま係船されていたが、1979年になってノルウェーのクルーズ企業であるノルウェージャン・クルーズライン(NCL)が購入し、カリブ海クルーズ用客船に改造されることになった。工事のため、長年の母港であったル・アーブルから西ドイツブレーマーハーフェンに回航され、船名にもなったフランスに別れを告げた。

クルーズ客船化により2400人定員に変更するため船内は大幅に改装され、客室が増設された。一方、31ノットの高速は不要なことから、ボイラーの半数は撤去されて最高出力は4万馬力に[6]、速度は17ノットとなった。島巡りに使用する400人乗りの大型ランチも搭載され、塗装も従来の白黒から白と青のツートンカラーに変更された。

1980年4月14日に改装工事が完成し、船名も「ノルウェー」(SS Norway)となった。総トン数は7万トンに及び、これまで世界最大のクルーズ客船であったP&Oの客船「キャンベラ」を抜いて、当時世界最大のクルーズ客船となった。

その後、数回にわたり改装を受けた。特に1990年に行われた改装では、最上部デッキの上に客室を新たに増設した結果、「フランス」当時の姿から大きく変化してしまった。

晩年

2003年5月25日、機関室のボイラーが爆発し、死者8名・負傷者17名を出す事故が発生した。幸い船客には負傷者は発生しなかったが、NTSBによる事故原因調査の結果、事故は老朽化したボイラーの点検・整備不良によるものと発表された。調査中、「ノルウェー」はマイアミに係船されていたが、調査終了後の2003年6月27日、修理のためドイツに回航する事を決定し、マイアミを2003年9月6日に出航。途中いくつかの港を経由して、17日後の9月23日にブレーマーハーフェンに到着したが、結果的にこれが最後の航海となった。

NCLでは、破損したボイラーの修復が可能か調査したが、修復困難と判断されそのまま係船となり、船内設備はNCLで新たに就航するクルーズ客船の船員訓練用として利用された。

2004年3月23日、NCLは「ノルウェーは二度と航海に戻ることはない」と発表し、事実上の廃船となった。またこの時、船籍をNCLの親会社であるスタークルーズに変更した。会社では売却解体の方針を決定したが、船内で使用されていた大量の残留アスベストのため、バーゼル条約によりドイツ国内から世界各国の解体場への出航が禁止されており、NCLは修理の上オーストラリアで就航させるとしてドイツ当局からの出航許可を得て[7]2005年5月23日にブレーマーハーフェンを出航し、マレーシアのポート・クラン港に向かった。港には8月10日に入港したが、そのまま解体のための売却先が見つかるまで係船され、2006年には、新たな船主に売却されリベリア船籍となり、船名も「ブルーレディ」(SS Blue Lady)に変更された。

その後、解体場所をめぐって環境保護団体から裁判が起こされるなど様々なトラブルが生じたが、2007年9月11日[8]に裁判所からの解体許可の判断が確定した。すでにインドのアラン(Alang)に回航され、遠浅の砂浜に座州していた「ブルーレディ」の解体作業への支障がなくなったことから、翌2008年1月20日より解体作業が開始された。

解体作業に際して、まず最初に1990年に増設された客室の撤去から開始され、一時的に1990年以前の姿に戻ったが、その後は順次作業が進み、2008年末には解体作業が終了した。解体前にあらかじめ収集された備品や船体の一部は、オークションに掛けられ売却された。また「ノルウェー」への改装前に船体に掲げられていた「FRANCE」のネオンサインを復元したものが、パリの国立海洋博物館で展示されている。

ギャラリー

関連項目

脚注

  1. ^ フランスなどの大西洋横断客船の運営に止めを刺すことになるジェット旅客機DC-8ボーイング707は、翌年にそれぞれ初飛行に成功。
  2. ^ a b c 柳原良平・中村庸夫『世界の客船』 保育社カラーブックス、1983年1月5日 24頁
  3. ^ 世界の艦船 第240集 (1977年5月)の特集より
  4. ^ 当時のレートで年間2400万USドルに達した。
  5. ^ 一例を挙げると、ある乗客の好みのシャンパンが在庫切れしていたので、次の寄港地に空輸した。
  6. ^ その結果、2本ある煙突のうち前側の1本はダミーとなった。
  7. ^ 船内設備の一部は、当時NCLが所有していた「ユナイテッド・ステーツ」に転用するために係船中に撤去されており、再び客船として活用するのは困難であった。
  8. ^ この日は、北大西洋航路での最後の定期運航から33年後の同じ日であった。

参考文献

  • 野間恒『世界の船』 保育社カラーブックス、1970年11月1日初版、1973年11月1日重版
  • 柳原良平中村庸夫『世界の客船』 保育社カラーブックス、1983年1月5日
  • 柳原良平『船旅の絵本』徳間書店徳間文庫、1986年5月15日
  • 柳原良平『柳原良平 船の本③ 船図鑑』徳間書店徳間文庫、1988年1月15日
  • 柳原良平『船旅を楽しむ本』講談社現代新書、1987年9月20日

外部リンク

ギャラリー


記録
先代
クイーン・エリザベス
世界最大の客船
19681969年
次代
クイーン・エリザベス2
先代
クイーン・エリザベス2
世界最大の客船
19801987年
次代
ソブリン・オブ・ザ・シーズ
先代
ソブリン・オブ・ザ・シーズ
世界最大の客船
19901995年
次代
サン・プリンセス

「フランス (客船・2代)」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フランス_(客船・2代)」の関連用語

フランス_(客船・2代)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フランス_(客船・2代)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランス (客船・2代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS