フランス船「アラミス」
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帝亜丸の前身であるアラミスは、メサジュリ・マリティム(英語版)(MM社,、フランス郵船)の所有船として1931年にラ・セーヌ=シュル=メール造船所で進水、翌1932年に竣工した。マルセイユ-極東航路向けに設計された快速貨客船で、一等客室をはじめとして豪華な内装が施された。主機にディーゼルエンジンを採用し、四角い断面の低い2本の煙突が外観上の特徴である。乗客定員は一等191人・二等125人・三等101人のほか、船倉を利用して642人の乗船が可能で、総計1,059人だった。同型船としてフェリックス・ルーセル(フランス語版)とジョルジュ・フィリッパー(英語版)の2隻が建造されている。 竣工したアラミスは、予定通り極東航路に就航した。フランス本国のマルセイユを母港に、植民地であるフランス領インドシナ(仏印)、さらに日本の神戸港までをスエズ運河を経由して結んだ。なお、姉妹船も同様に極東航路に就航したが、ジョルジュ・フィリッパーは処女航海の帰路の途中、1932年5月16日にアデン湾で火災を起こし沈没している。 1933年6月22日にアラミスはChuzan諸島で座礁事故を起こした。フランス極東艦隊の軽巡洋艦プリモゲに曳航されて日本に向かい、修理を受けた。 1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、アラミスはフランス海軍の徴用を受け、サイゴンで仮装巡洋艦へと改装された。武装として「カネー Model 1910 13.9cm(55口径)速射砲」8門と「Model 1927 7.5cm(60口径)高角砲」2門、オチキス社製の「1933年型 37 mm(50口径)機関砲」2門、機関銃8門が装備されている。改装後はX1と呼称されて極東海域の哨戒任務に従事したが、1940年6月のフランス降伏により、武装解除のうえサイゴンに係留されることになった。ただし、フランス海軍による徴用は解除されず、軍用の宿泊船として引き続き使用されていた。なお、同様に仏印領内に残ったフランス船籍・仏印船籍の商船は、1941年末時点で500総トン以上のものが27隻(計10万総トン)、うち10隻は4,000総トン以上の船であった。
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