フランス船「アラミス」とは? わかりやすく解説

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フランス船「アラミス」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 08:08 UTC 版)

帝亜丸」の記事における「フランス船「アラミス」」の解説

帝亜丸前身であるアラミスは、メサジュリ・マリティム英語版)(MM社,、フランス郵船)の所有船として1931年ラ・セーヌ=シュル=メール造船所進水、翌1932年竣工したマルセイユ-極東航路向けに設計され快速貨客船で、一等客室はじめとして豪華な内装施された。主機ディーゼルエンジン採用し四角断面の低い2本の煙突外観上の特徴である。乗客定員一等191人・二等125人・三等101人のほか、船倉利用して642人の乗船が可能で、総計1,059人だった。同型船としてフェリックス・ルーセル(フランス語版)とジョルジュ・フィリッパー(英語版)の2隻が建造されている。 竣工したアラミスは、予定通り極東航路就航したフランス本国マルセイユ母港に、植民地であるフランス領インドシナ仏印)、さらに日本の神戸港までをスエズ運河経由して結んだ。なお、姉妹船同様に極東航路就航したが、ジョルジュ・フィリッパーは処女航海帰路途中1932年5月16日アデン湾火災起こし沈没している。 1933年6月22日アラミスはChuzan諸島座礁事故起こしたフランス極東艦隊軽巡洋艦プリモゲ曳航されて日本向かい修理受けた1939年9月第二次世界大戦勃発すると、アラミスフランス海軍徴用を受け、サイゴン仮装巡洋艦へ改装された。武装として「カネー Model 1910 13.9cm(55口径速射砲」8門と「Model 1927 7.5cm(60口径高角砲」2門、オチキス社製の「1933年37 mm50口径機関砲」2門、機関銃8門が装備されている。改装後はX1と呼称されて極東海域哨戒任務従事したが、1940年6月フランス降伏により、武装解除のうえサイゴン係留されることになった。ただし、フランス海軍による徴用解除されず、軍用宿泊船として引き続き使用されていた。なお、同様に仏印領内残ったフランス船籍仏印船籍商船は、1941年時点500総トン上のものが27隻(計10万総トン)、うち10隻は4,000総トン上のであった

※この「フランス船「アラミス」」の解説は、「帝亜丸」の解説の一部です。
「フランス船「アラミス」」を含む「帝亜丸」の記事については、「帝亜丸」の概要を参照ください。

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