フランス艦隊の妨害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 01:11 UTC 版)
「トラファルガー戦役」の記事における「フランス艦隊の妨害」の解説
詳細は「フィニステレ岬の海戦」を参照 ジブラルタルに戻る前、ネルソンは分遣隊をブリッグ艦キュリュー(英語版)に乗せて海軍本部にやった。6月19日に大西洋を横切っている時、仏西連合艦隊がアンティグアから北に向かっているのをイギリス側の艦船クリューが発見さしていた。キュリューはその艦隊を尾行し、艦隊がネルソンが予測していたジブラルタル海峡への針路とは、違う航路であること、代わりにビスケー湾に入ろうとしていることが明らかになった。この分遣隊はこの最新の目撃情報をもって、海軍本部のチャールズ・ミドルトンのもとへ急行した。ミドルトンはロバート・カルダー中将下の補強艦隊に、仏西艦隊がフィニステレ岬沖に達したら迎撃するように指示した。チャールズ・スターリング(英語版)少将指揮下の戦列艦5隻を艦隊に加えたカルダーの艦隊は、7月22日、フェロールに向けて西に進む仏西艦隊の姿を捉えた。 カルダーはフランス艦隊を迎撃するため南に移動した、一方でヴィルヌーヴは全軍に戦列態勢を取らせ、北へと移動し始めた。両艦隊はゆっくりとすれ違い、カルダーは艦隊に上手回しに舵を取らせ、連続してジグザグに進ませて、敵の後衛へと近づき始めた。イギリス艦隊の前衛にいたフリゲート艦シリウスが、フランス艦隊の後尾についていたシレーヌを攻撃を仕掛けて、ついに戦闘が始まった。イギリス艦隊が後衛部隊を切り離すのを恐れたヴィルヌーヴは、フランス艦隊の向きを変えさせ、午後5時30分ごろに、スペイン艦隊の前衛がイギリス艦隊の先導艦を砲撃した 。戦闘はすぐに全軍に広がったが、日が落ちたのと、立ち込めた霧と砲煙のため両艦隊は四散しはじめた。午後9時半には戦闘は中断され、2隻のスペイン艦が孤立してイギリス艦隊に拿捕された。翌日になっても、両艦隊は散り散りになったままだった。互いに相手を観察し合ってはいたが、どちらからも戦闘を再開する様子はうかがえず、7月24日にはイギリス側に有利な風向きだったにもかかわらず、カルダーは攻撃をしなかった。 7月25日には両艦隊は互いの視界から去って行った。ヴィルヌーヴはビゴに向かい、カルダーは東を目指した。双方の提督が自分たちの勝利を主張した、ヴィルヌーヴはナポレオンに、この戦闘後に北へ向かって、ロシュフォールからのアルマンの部隊(英語版)と合流し、その後英仏海峡に向かうつもりであったと答えて納得させた。しかし8月13日、ちょうど航海中であったヴィルヌーヴと、アルマンのそれぞれのフランス艦隊は互いをイギリスの主力艦隊と取り違え、合流する代わりに、互いに相手から逃げようとして、ヴィルヌーヴはカディスへ逃げ込んだ。怒り狂ったナポレオンは怒鳴り散らした、「何という海軍、何という提督だ、これまでのすべての犠牲が何の役にも立っていない!」フィニステレ岬の海戦とヴィルヌーヴのカディスへの退却は、イギリスの侵攻に関していえば、作戦にとどめを刺してしまった。これにより、ナポレオンは英仏海峡の支配の地固めとなる作戦への期待を捨て去り、イングランド陸軍、改名されて大陸軍を召集して、ウルム作戦(英語版)で東へ進み、オーストリアを攻めることにした。
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