フランス絶対王政の成立
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「第2次百年戦争」の記事における「フランス絶対王政の成立」の解説
30年余におよぶユグノー戦争(1562年 - 1598年)はフランス国内を荒廃させたが、アンリ4世(在位:1589年 - 1610年)が即位してブルボン朝が始まり、1598年にナントの勅令を発布して国内の宗教対立に終止符を打った。これによりフランス絶対王政の基礎がつくられる。1604年にはフランス東インド会社が設立され、1608年にはケベック市が建設されてカナダ植民の拠点となった。 次のルイ13世(在位:1610年 - 1643年)は三十年戦争に介入、フランスはカトリック国でありながら新教側に立って参戦した。この戦争は、ドイツの荒廃、主権国家体制の成立、神聖ローマ帝国の有名無実化、そしてオランダ・スイスの独立を招いた戦争であったが、ブルボン家にとっては宿敵であったオーストリア・スペイン両ハプスブルク家に対して優位性を獲得した戦争でもあった。なお、1642年にはカナダにモントリオール市が建設されている。 フランス最後の貴族の反乱となったフロンドの乱(1648年 - 1653年)が平定された後の1661年には、太陽王ルイ14世(在位:1643年 - 1715年)の親政が始まり、同年ヴェルサイユ宮殿の造営も開始している。 「朕は国家なり」の言葉で知られるルイ14世は、「領土の拡大は最も気持ちの良い仕事である」と豪語して自然国境説にもとづき、たび重なる侵略戦争をおこなった。南ネーデルラント継承戦争(1667年 - 1668年)、オランダ戦争(オランダ侵略戦争、1672年 - 1678年)そして第2次百年戦争の皮切りとされるプファルツ継承戦争である。いっぽう東洋進出においても、コルベールが1664年東インド会社を再組織して本格化し、インドではシャンデルナゴル(1673年)やポンディシェリ(1674年)を根拠地としてイングランドに対抗しようとした。また、北米では1682年にミシシッピ川流域一帯のフランス領ルイジアナへの植民が始まった。「ルイジアナ」の地名は、太陽王の名にちなんでフランス人ラ・サールによって命名されたものである。
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