フォン・シュタウフェンベルク自身の発言
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「クラウス・フォン・シュタウフェンベルク」の記事における「フォン・シュタウフェンベルク自身の発言」の解説
「この国は荒涼としている。砂と埃ばかりだ。住民は信じられないほど貧しい。非常に多くのユダヤ人とその混血がいる。鞭を打たれなければ落ち着かない国民だ。数千の戦争捕虜は我々の農業労働者として役に立つだろう」(1939年9月、対ポーランド戦従軍中。ポーランドについて) 「ポーランドを計画的に植民地化することは絶対不可欠だ。それに不安はない。西方の敵はドイツ経済を締め上げたことを根拠に戦争を始めたのだから、これは英仏にとって大打撃だろう。英仏は万策尽きた。フランス軍がドイツ領へ侵攻しても大した戦果は得られまい。では我々が攻撃をしかけることになるのだろうか・・・?」(1939年9月、ポーランド戦後) 「一大国が崩壊する様を、僕らは目の当たりにしている。軍事面だけではなく、精神面でもだ。僕たちの進撃ルートをたどることが出来るだろうか。アイフェル高地、アルデンヌ森、マース川、オワーズ川を超え、今日はもうソンム川かな。前代未聞の進軍、正真正銘の侵略、破竹の進撃だ。対するフランス軍は戦おうという意志さえ見せなかった。数千人が大挙して投降し、その後監視されているわけでもないのに(捕虜収容所に入るため)自ら進んで東に殺到した」(1940年5月12日、対フランス戦従軍中に妻ニナへ書いた手紙) 「想像できるだろうか。自分の所属する師団が展開する栄光ある作戦から引きずり出されて、陸軍総司令部のような役所に埋没させられることを僕がどれほどつらいと感じているか」(フランス戦の最中、陸軍総司令部参謀本部へ移籍を命じられたことについて妻に宛てた手紙で) 「勝利したとはいえ、永遠に続くものなどないということを、そしてほんの数年で突然の変化によって逆転することさえあるということを、人は忘れてはならない。僕たちは子どもたちに、たゆまぬ奮闘と再生への絶え間ない努力によってのみ衰退から救われることを教え(今回の偉大な成就を見るとますますそう思えるのだが)、そして永遠と維持と死が全く同じものだと教えることが出来たら、教育という国民の義務の最も大切な部分を成し遂げたことになるだろう」(1940年6月18日、フランス降伏直前の妻への手紙) 「ヒトラーの近くにいると創造的志向を促される。ヒトラーは物事を全体像から見る能力に長け、ドイツの未来のために奮闘している。彼が戦争に勝つのを手伝わねばならない。ヒトラーの父は小市民などではなかった。彼の父は戦争なのだ」(参謀本部勤務となった直後の妻への手紙) 「戦争に勝つのが先決だ。戦争中にそういうこと(反ナチ運動)はできない。特にボルシェヴィキと戦っている間はなおさらだ。だが、それが終わって帰国したら褐色の疫病を片付けよう」(1941年9月、兄ベルトルトを通じてモルトケから反ナチ運動への参加を求められて) 「この無意味な犠牲を阻止するために全力を尽くさないとしたら、私は亡くなった人々の妻や子に合わせる顔がない」(1943年夏) 「総統はもうもたない。だから排除しなくてはならない」(1943年12月) 「将軍たちはこれまで何も果たさなかったのだから、大佐クラスがやるしかない」
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