フィクションにおける二丁拳銃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 06:45 UTC 版)
「二丁拳銃」の記事における「フィクションにおける二丁拳銃」の解説
1862年に発表されたヴィクトル・ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』は、現実よりも「効果的」な二丁拳銃の描写を行った最初期の創作物である。 マリユスは、しばらくモンデトゥール街の角に隠れて、戦いの最初の光景を見ながら、なお決断しかねて身を震わしていた。けれども、深淵の呼び声とも言うべき神秘な荘厳な眩惑に、彼は長く抵抗することができなかった。切迫してる危機、悲愴な謎たるマブーフ氏の死、殺されたバオレル、「きてくれ!」と叫んでるクールフェーラック、追いつめられてる少年、それを助けあるいはその讐を報ぜんとしている友人ら、それらを眼前に見ては、あらゆる躊躇の情も消え失せてしまい、二梃のピストルを手にして混戦のうちにおどり込んだ。そして第一発でガヴローシュを助け、第二発でクールフェーラックを救ったのである。 —レ・ミゼラブル 第四部 叙情詩と叙事詩 プリューメ街の恋歌とサン・ドゥニ街の戦歌 西部劇における「二丁拳銃のガンマン」は、実在のガンマンたちの活躍を誇張して描いたダイムノヴェルのキャラクターとして生まれた後、ウィリアム・S・ハート(英語版)が監督・出演した初期の無声映画での描写によって決定的なものとなった。1914年の短編映画『Two Gun Hicks』はその一例である。1930年代には漫画の普及が進み、アクションシーンで映画のような二丁拳銃が描かれるようになる。1939年にはザ・シャドー(英語版)が二丁拳銃で戦う姿が描かれた。 ジョン・ウーが監督した映画『男たちの挽歌』(1985年)および『ハード・ボイルド 新・男たちの挽歌』(1992年)で描かれた、2丁の自動拳銃で戦うアクションシーンは、以後の映画に大きな影響を与えた。かつては武術映画とコメディ映画が香港映画の主流ジャンルであり、またカンフーやチャンバラに比べて銃撃戦は退屈で不人気な戦闘シーンと見なされていた。これを打破するべく、『男たちの挽歌』では、トラッキングショット、ドリーイン、スローモーションなど多くの演出を盛り込んだ派手で印象的な銃撃戦が描かれ、その一環として取り入れられた二丁拳銃は、ジョン・ウー映画のトレードマークの1つとなった。『男たちの挽歌』は、香港ノワール(英雄式血灑(中国語版))と呼ばれる香港映画のジャンルを作り上げることとなった。また、後にこうした銃撃戦を始めとするアクションシーンを指し、カンフーとガン(銃)を組み合わせたガン・フー(Gun fu)という表現が使われるようになった。 ウォシャウスキー兄弟が監督した映画『マトリックス』(1999年)は、香港から武術指導としてユエン・ウーピンを招き、アクションシーンにいわゆるガン・フーを取り入れた。この映画の大ヒットののち、ガン・フースタイルのアクションシーンがアメリカ映画に普及していった。 ビデオゲームの分野でも、映画に影響を受ける形でアキンボ(拳銃に限らない二丁持ち)が普及していった。
※この「フィクションにおける二丁拳銃」の解説は、「二丁拳銃」の解説の一部です。
「フィクションにおける二丁拳銃」を含む「二丁拳銃」の記事については、「二丁拳銃」の概要を参照ください。
- フィクションにおける二丁拳銃のページへのリンク