小説『レ・ミゼラブル』
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「ジャン・マクシミリアン・ラマルク」の記事における「小説『レ・ミゼラブル』」の解説
フランスの作家ヴィクトル・ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』では、後半のクライマックスとなる場面において、ラマルクの死から六月暴動に至る経緯が描かれている。小説によると、1832年のパリには民衆の不満が渦巻き、何かのきっかけさえあれば爆発する寸前の状況であった。ラマルクは民衆に人気のあった人物で、政府はその死が何か事のきっかけになることを恐れていたが、ラマルクが死ぬと憂慮したとおり暴動が発生してしまう。暴動は、小説においても、史実通 ラマルクは名声の高い活動的な人物だった。彼は帝政と王政復古との下において、両時代に必要なる二つの勇気を相次いで示した、すなわち戦場の勇気と演壇の勇気を。勇敢であるとともにまた雄弁であった。その言論のうちには剣の刃が感ぜられた。先輩たるフォアのように、指揮権を高くかざした後に自由を高くふりかざした。左党と極左党との間に席を占め、未来の吉凶を顧慮しないので民衆から愛せられ、かつて皇帝によく仕えたので群集から愛せられていた。ジェラール伯およびドルーエ伯とともに、ナポレオン胸中の元帥のひとりであった。一八一五年の条約には、自身親しく侮辱を受けたかのように激昂した。直接の憎悪をウェリントンに向けた。その憎悪は群集の気に入るものだった。その後十七年間、彼はその間に起こった事変にはほとんど注意も払わず、ワーテルローを痛むの念をおごそかに守っていた。最期の時には、臨終の苦悶のうちに、百日の将校らから贈られた一本の剣を胸に抱きしめていた。ナポレオンは軍隊という一語を発して死んだが、ラマルクは祖国という一語を発して死んだ。
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