小説『三国志演義』での生涯
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『三国志演義』では、蜀漢の諸葛亮が領内に侵攻して来ると(街亭の戦い)、曹真に推挙されて副都督として祁山諸葛亮に対抗した。 郭淮は曹真の軍師である王朗の死に乗じて蜀軍が夜襲をに来ることを予測するが、夜襲をして来た蜀軍に敗れた。そのため、態勢が立て直るまで羌族に蜀軍を背後を攻撃させることを進言した。 228年、司馬懿が街亭の戦いで馬謖を破ると、功績の独占をおそれ列柳城を取ろうとするが、司馬懿に先を越された。また、蜀軍にも撃退され、長安に止まった。 231年、またも祁山に出た諸葛亮を曹真と共に迎え討つが敗れた。また、孫礼と共に司馬懿の作戦に参加するが、ここでも敗れ、雍城・郿城を守った。 蜀軍が持久戦のため鹵城で麦を刈り取っていることを司馬懿に報告し、蜀軍を追撃するが、諸葛亮の計略により敗退する。また、諸葛亮が開発した、木牛流馬の仕掛けを知らず、食糧を奪われた。 255年、鉄籠山で姜維に包囲された司馬昭を救うため出陣し、敵将を捕らえたが、姜維が射った矢に当たって討ち死にした。
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