パラドックスの解決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 03:16 UTC 版)
「オルバースのパラドックス」の記事における「パラドックスの解決」の解説
近代科学の黎明期以降、宇宙が無限の大きさをもつのだと想定されるとともに、このパラドックスは17世紀のヨハネス・ケプラー、18世紀のエドモンド・ハレー、ジャン=フィリップ・ロイス・ド・シェゾー、19世紀のH・ヴィルヘルム・オルバースなどによって気づかれてきたものであった。 特にシェゾーは1744年に現在提示されるものと同じパラドックスの明確な定量的記述を行っている。 一方、このパラドックスに対しこれらの人々によって過去に提案されてきた解答は、時代ごとの宇宙像とその変遷を反映する多様なものとなった。 大別するならそれらの解答は、宇宙が限られていることによって実際には星は空を覆うほどまでは存在していないとするものと、星は確かに空を覆うように存在するのだが何らかの事情で見えないとするものとに分けられる。 ケプラーは前者の解答を、その後のハレー、シェゾー、オルバース、そして20世紀半ばのハーマン・ボンディなどは、論拠は様々であるものの後者の解答を提示した。 しかし現在では、前者の解答が正しいこと、すなわち単に星は空を覆いつくすほどには存在していないのだということがわかっている。 森が木の幹で見通せなくなるのに森にある程度の大きさが必要なように、夜空が星で覆いつくされるためには、無限とはいかずとも宇宙がある距離を越えて空間的に非常に広くなければならない。 また光速が有限であるため、そのような広大な空間を光が伝わってくるような非常に長い時間の昔から星が輝いていたとすることも必要となる。 著名な物理学者ケルヴィン(ウィリアム・トムソン)は1901年の論文において、恒星の寿命がこれに必要な時間には遠く及ばないことに注目し、もともと暗闇には十分に星が存在していないためにパラドックスの前提が成立していないという解答を定量的に示した。 当時の恒星の年齢の見積もりは現在とは異なっていたものの、恒星が一生の間に放射しうる光の量に注目したその議論は、現在においてもパラドックスの解決において本質的である。 しかしケルヴィンの古典的宇宙像における解決は、その後の一般相対性理論の登場と膨張宇宙論という20世紀の宇宙論の激変の影で長らく注目されないままとなった。 現在の知見にもとづく見積もりによると、星が今のまま輝き続けたとしても、現在の宇宙の年齢より10兆倍の時間を経なければ、宇宙は星の放射で満たされることがない。 しかし宇宙に現実に存在する物質の量では恒星をそこまで長く輝き続けさせることはできず、このことは、本質的に宇宙に物質が足りていないことを示している。 パラドックスが成立するためには現実の宇宙のおよそ10兆倍の密度で星が存在していなければならない。 実際の夜空の暗闇の正体については、1965年に宇宙背景放射が発見され、宇宙論の進展とともに、さらに近代的な解釈が可能となった。 それにもとづけば現在我々が見ている宇宙の暗闇とは、何もない無限の空隙でも、見えない星があるのでもなく、137億年前のビッグバン後しばらくたってからの宇宙の姿である。 ビッグバン後38万年までは、宇宙は原子核と電子がばらばらに存在して光は自由に動けなかったが、宇宙の拡大とともに 3000 K にまで冷えたとき、原子が生成され初めて光が自由に動けるようになった。 これは宇宙の晴れ上がりと呼ばれている。 この瞬間からもたらされた熱放射は宇宙膨張による赤方偏移によって冷やされ、およそ1000倍の波長、目で捉えられないマイクロ波の電波を主体とする 2.7 K の温度にまで長く引き伸ばされている。 我々が現在見ている夜空の暗い背景は、実はこうした原初の宇宙の輝きの放射で覆われていることになる。
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