バッシング報道と冠番組の打ち切りとは? わかりやすく解説

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バッシング報道と冠番組の打ち切り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 16:54 UTC 版)

山田邦子」の記事における「バッシング報道と冠番組の打ち切り」の解説

1992年、高視聴率だったにもかかわらず、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』が突然打ち切りとなった。これは表向きではフジテレビ会長鹿内宏明指示の下、ゴールデンタイム音楽番組復活狙ったものと説明されているが、実際番組レギュラー頻繁に変更するスタッフ山田腹を立て、「一緒に頑張ってきたメンバー簡単に降板させるのはおかしい」と意見しメイン司会者の自らも番組降板申し出たためだという。 1995年には昼の帯番組山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS)がスタート1990年代当時TBSの昼の帯番組全般的に不調だったが、『しあわせにしてよ』もまた裏番組である『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)や『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)を追い抜くことはできず低視聴率となる。露出過多原因となって山田担当番組視聴率低下するとともにこれまで好感度ナンバーワンだったことの反動としてバッシングが起こる。NHK大河ドラマ八代将軍吉宗』(1995年においては吉宗生母浄円院演じた浄円院農民の出という説もあるため、庶民的なタレントだった山田選ばれたが、視聴者からは「違和感がある」という反応多かったとされ、典型的なミスキャスト評する向きもある。これがまずバッシング発端となったその後も、1995年夏から秋にかけて週刊誌バッシング記事続き12月には写真週刊誌FOCUS』でテレビ制作関係者との恋愛スキャンダル報道され(のち2000年1月結婚)、芸能リポーターから執拗に追い回されることになったこの際芸能リポーター井上公造からの質問に対して山田が「お前もてないだろう」「バカじゃないの」と罵倒するシーンワイドショー放送された。 1996年発表1995年度NHK好きなタレント調査」では好感度1位だったものの、1997年発表1996年度調査では6位、1997年度14位と急落した1980年代後半からこの時期までは出演番組のほとんどでメイン司会者務めていたが、1995年頃から次第テレビへ露出減少し1997年の『山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS)、『邦子がタッチ』(テレビ朝日)の同時期の打ち切りにより、遂に冠番組なくなった事務所お手上げ状態で八方塞がり時期続いたが、本人時間余裕ができたことで自分見つめ直す心の余裕ができ、念願だった舞台仕事習い事始めた。また2006年には、かねてから親交のあった評論家吉武輝子からの誘いで、市民団体戦争への道を許さない女たち連絡会」に加入する

※この「バッシング報道と冠番組の打ち切り」の解説は、「山田邦子」の解説の一部です。
「バッシング報道と冠番組の打ち切り」を含む「山田邦子」の記事については、「山田邦子」の概要を参照ください。

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