バッシュブラザーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 23:07 UTC 版)
「オークランド・アスレチックス」の記事における「バッシュブラザーズ」の解説
1980年にビリー・マーチンを監督に迎え、リック・ラングフォード、マット・キーオ、スティーブ・マッカーティーら先発陣の踏ん張りで1981年にリーグ西地区の優勝を果たした。しかし、翌1982年は前年と同じ顔ぶれの先発投手陣が軒並み調子を落とし、マーチンの時代は長続きしなかった。この先発陣の不振はマーチンの『完投主義』が先発投手に大きな負担を与えたことが原因とされ、以後MLB全体に継投主体の投手起用や先発投手の球数制限などが普及するきっかけとなった。現に1981年のアスレチックスは109試合で60完投と、多くても30程度だった他チームの2倍近い完投数を記録していた。 1986年にトニー・ラルーサを監督に迎える。時を同じくしてチームには若手が次々と台頭し、ホセ・カンセコ、マーク・マグワイア、ウォルト・ワイスとチームは3年続けて新人王を輩出する。1988年から1990年には3年連続90勝以上で3度のワールドシリーズ出場を果たし、1989年にはオークランドの対岸にあるサンフランシスコ・ジャイアンツとのベイブリッジシリーズとなったワールドシリーズを制覇した。打の中心はカンセコ、マグワイアのバッシュブラザーズに、史上最高のリードオフマンと言われるリッキー・ヘンダーソン。投手陣はデーブ・スチュワート、ボブ・ウェルチ、マイク・ムーア 、デニス・エカーズリーと先発3本柱とクローザーはリーグ屈指であった。
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