ノルウェーへの帰還、講堂壁画とは? わかりやすく解説

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ノルウェーへの帰還、講堂壁画(1909年5月-1916年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 19:39 UTC 版)

エドヴァルド・ムンク」の記事における「ノルウェーへの帰還、講堂壁画(1909年5月-1916年)」の解説

ムンク1909年退院すると、コペンハーゲンからノルウェー戻りクラーゲリョー小さな町住み始めた1910年11月にはオスロ・フィヨルド東岸ヴィトステーン(英語版)に土地買って、ここも制作拠点加えた1913年にはさらにその南、モス英語版近郊建物借りてアトリエとした。イェンス・ティースヤッペ・ニルセン10余り限られた友人とのみ付き合い、彼らの肖像画描きアトリエ大事に置いていた。ムンクアトリエ訪れた人は、彼が作品に「荒療治」を施すのを目にした。これは、作品をあえて野外放置し風雨日光さらされたり引っかいたりするのに任せ色彩が「落ち着く」まで待つという独特の方法であった逆に、絵にワニスをかけて保護することに対しては、絵の呼吸妨げるとして反対した。 ムンク親類から勧められて、クリスチャニア大学講堂壁画コンテスト応募するための下絵描き始めた正面大壁に『太陽』、その向かい側に『人間の山』、左右横長の壁に『歴史』と『アルマ・マーテル母校)』を配する構想提出し1911年コンテストでは第1位を得た大学当局拒絶された。しかしその後ムンク支持運動起き1914年大学学部長会がムンク案の採用決議した規格外大きなキャンバスであったことから完成まで7年要し上の方は脚立乗って作業するなど、肉体的に苦闘強いられた作品であったその間大学当局受入れめぐって煮え切らない態度続けたり値切ろうとしたりして、ムンクいらだち募らせた。 この時期ムンクは『労働者その子』(1907年-08年)『左官屋機械工』(1908年)『木こり』(1913年)『雪かき人夫の中の労働者)』(1913年-14年)『家路につく労働者』(1913年-15年)などの200点にのぼる「労働者シリーズ」に取り組んだ。また『クラーゲリョーの冬』(1912年のような風景画制作した1912年ケルン分離派(ゾンダーブント(英語版))展の招待作家となり、セザンヌゴッホゴーギャン並んで特別展示室与えられた。ムンクそれ以前から、マックス・ベックマンエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーオットー・ミュラーといったドイツ表現主義画家たち大きな影響及ぼしていたが、この頃ドイツでのムンク高い評価確立した。 しかし、1914年第一次世界大戦勃発すると、ドイツとの関係が深いムンクは、反ドイツ的なノルウェー若者から冷ややかな視線送られるようになったノルウェー政府中立称し陣営軍需品供給して金儲けを図るが、ドイツ潜水艦軍需品を運ぶ貨物船イギリスから狙い撃ちされ、商船員の命を失うことになったムンクノルウェー美術展ポスター依頼された際、こうした政府態度批判した中立』という作品提出した戦争中1916年ようやくクリスチャニア大学講堂壁画完成し除幕式迎えた。 『黄色丸太1912年油彩キャンバス、129.5 × 159.5 cmムンク美術館。 『家路につく労働者』1913-15年。227 × 201 cmムンク美術館。 『太陽』1911-16年。油彩455 × 780 cm。現オスロ大学講堂壁画『歴史』1916年。現オスロ大学講堂壁画

※この「ノルウェーへの帰還、講堂壁画(1909年5月-1916年)」の解説は、「エドヴァルド・ムンク」の解説の一部です。
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