ニコライ1世の時代 (1825-55)
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「反ユダヤ主義」の記事における「ニコライ1世の時代 (1825-55)」の解説
ニコライ1世(在位:1825 - 1855年)はユダヤ人対策を強化し、教育相ウヴァーロフの提案でユダヤ人に対してロシアの学校への通学、ロシア語での授業を強要した。しかし、帝国公認の学校に通うユダヤ人生徒数は数千人にとどまり、ユダヤ人への不信感をつのらせ皇帝は密輸入やスパイ容疑をかけられたユダヤ人は定住地域の境界線から50km以内の町や村からの強制退去を命じた。なお、デガブリストの乱の指導者の一人ペステリは皇帝のユダヤ政策に同調して、ユダヤ人は強制的にロシア人に同化させるか、パレスチナ追放かのいずれかだと述べた。 1827年に成立したユダヤ人徴兵法では、それまで人頭税で兵役免除されていたユダヤ人の兵役を義務づけ、プロイセンのカントン制度を模して7歳以上のユダヤ人の子供をカントニストとして軍事教練に送り、キリスト教に改宗させた。 ダマスクス事件(1840)の発生によって、ニコライ1世は併合したポーランドのユダヤ人の調査を命じ、ヴラディーミル・ダーリは一部の狂信的ハシッド派は儀式殺人を行っていると報告した。 ニコライ1世は1844年にはユダヤ人自治機構カハルを解体し、ユダヤ書物検閲を始めて、モーシェ・ベン=マイモーンの本が儀式殺人を教唆するとして差し押さえ、イディッシュ語で執行される正教会ミサへの参列をユダヤ人に義務づけた。 作家アレクサンドル・プーシキンは小説でユダヤ人を裏切り者やスパイとして描き、未完の『吝嗇の騎士』では騎士がユダヤ人高利貸しに向かって「いまいましいユダ公、いや、敬愛するソロモン君」と述べる。 作家ニコライ・ゴーゴリは小説『タラス・ブーリバ』(1835年)で、卑怯な搾取者のユダヤ人ヤンキェルが、コサック領主によってドニエプル川に沈められる姿や「羽をむしられた鶏」のような姿を滑稽に描いた。この「羽をむしられた鶏」としてユダヤ人を滑稽に描く手法は、ドストエフスキーの『死の家の記録』、ミハイル・サルトィコフ=シチェドリンの『ペテルブルクのある田舎者の日記』、アントン・チェーホフの『広野』、バーベリの『騎兵隊』(1926)でも継承された。 イワン・ツルゲーネフの『ユダヤ人』(1846年)では、密偵のユダヤ人の死刑執行が「本当に滑稽」とで「奇妙な仕草、実に非常識な叫びや身震いなどによって」「その光景がどれほど嘆かわしいものであってもわれわれはどうしても微笑んでしまうのだった」と描いた。しかし、後期ツルゲーネフはユダヤ人は人間味溢れる者として描いた。
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