ニコライ1世時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 08:43 UTC 版)
「アレクサンドロフスキー宮殿」の記事における「ニコライ1世時代」の解説
アレクサンドル1世はエカテリーナ宮殿に移った後、アレクサンドロフスキー宮殿を弟のニコライ・パヴロヴィチ大公(後の皇帝ニコライ1世)一家に夏の宮殿として下賜した。ニコライ1世は即位後、1830年から1850年にかけて大規模な改修を行った。改修に当たっては、D.セルフォリーリョ、A.トーン、D.エフィーモフ、アンドレイ・シタケンシネイデル(シュタッケンシュナイダー)らの建築家が起用された。ニコライ1世の治世における公式及び私室の様子は、1840年から1860年代にE.ハウ、I.プレマッツィ、I.ヴォリスキーの手になる水彩画の数々によってうかがい知る事ができる。 この時期に造営された部屋の中で最も著名なものは、ニコライ1世の皇子女のために作られた「山のホール」である。ニコライ1世と家族は、短い夏をこの宮殿で過ごした。1842年には、皇帝夫妻は銀婚式を祝った。その一方で、2年後の1844年には、ヘッセン=カッセル方伯子フリードリヒ・ヴィルヘルムの妃となったアレクサンドラ・ニコラエヴナがこの宮殿で死去し、1860年10月19日、アレクサンドラ・フョードロヴナも、宮殿で崩御している。このほか、後の皇帝アレクサンドル3世は、宮殿右翼棟にアパルトマンを所有していた。
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