ヴィクトル・コチュベイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 22:54 UTC 版)
ヴィクトル・パヴロヴィチ・コチュベイ(ロシア語:Виктор Павлович Кочубейヴィークタル・パーヴラヴィチュ・カチュビェーイ;ラテン文字表記の例:Viktor Pavlovich Kochubey、1768年 - 1834年)は、帝政ロシアの貴族、政治家。
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注釈
- ^ 1796年、18歳だったアレクサンドル皇太子(のちの皇帝アレクサンドル1世)はオスマン帝国駐在公使だった10歳年上のコチュベイに、平穏と平和とだけを愛する自分の性格からは皇帝の地位はあまりにもまばゆすぎるとして、皇太子の地位を放棄することを決心したという手紙を書き送っている[1]。
- ^ 「若き友人」にはコチュベイのほか、パーヴェル・ストロガノフやニコライ・ノヴォシリツェフ、アダム・イエジィ・チャルトリスキがおり、皇帝の改革政治を支えた。しかし、やがて皇帝は「若き友人」からしだいに距離を置くようになった[2]。
出典
- 1 ヴィクトル・コチュベイとは
- 2 ヴィクトル・コチュベイの概要
固有名詞の分類
帝政ロシアの政治家 | グリゴリー・ポチョムキン アレクサンドル・ポタポフ ヴィクトル・コチュベイ ニコライ・メゼンツォフ イワン・オステルマン |
ロシアの貴族 | ニキータ・パーニン グリゴリー・ポチョムキン ヴィクトル・コチュベイ ピョートル・アレクサンドロヴィチ・オリデンブルクスキー ゲオルギー・マクシミリアノヴィチ・レイフテンベルクスキー |
ロシア帝国国家評議会議員 | ウラジーミル・ココツェフ ニコライ・ボブリコフ ヴィクトル・コチュベイ ニコライ・メゼンツォフ ピョートル・スヴャトポルク=ミルスキー |
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