なんちゃっておじさん
(ナンチャッテおじさん から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/05 00:37 UTC 版)
なんちゃっておじさんは、1977年(昭和52年)から1978年(昭和53年)にかけて東京都の電車内に出没して乗客たちを笑わせたといわれる中年男性[1]。ニッポン放送の深夜ラジオ番組で、友人から聞いた話という女子高生の投書で紹介されたのを皮切りに[2]、テレビや雑誌などでも取り上げられるようになり、日本中で社会現象と呼べるほどの大ブームになった[3][4]。実在の人物かどうかは諸説があり(後述)、日本の都市伝説の一つとして語られることもある[4][5]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f 歴史雑学探偵団 2007, p. 124
- ^ a b c “3 「ナンチャッテおじさん」かつて日本全国に起こした大ブームはここから始まった。 貴重な音源を発見”. ニッポン放送 NEWS ONLINE. ニッポン放送 (2020年10月3日). 2023年3月4日閲覧。
- ^ a b c d e 原田 2008, pp. 224–225
- ^ a b c d e f g h i j k l m 初見健一. “なんちゃっておじさん”. 東京レトロスペクティブ. 2015年7月25日閲覧。
- ^ a b 樋口 2006, p. 71
- ^ a b c 世相風俗観察会 2009, pp. 236–237
- ^ a b c d e f g h i j 池辺 1978, pp. 168–169
- ^ a b c d e f g h i 小森 1978, pp. 366–369
- ^ a b c 文藝春秋 1978, p. 64
- ^ a b c d 朝日新聞社 2000, p. 1978-34
- ^ 「なんちゃっておじさん」『北日本新聞』北日本新聞社、2009年7月7日、朝刊、1面。
- ^ a b c d 集英社 1990, pp. 64–65
- ^ a b c d e f 稲垣 1989, pp. 268–269
- ^ a b c 週刊サンケイ 1978, pp. 130–134
- ^ “秋元康がラジオ番組から学んだ「ブームを仕掛けるテクニック」”. OHTABOOKSTAND. 太田出版 (2018年11月19日). 2022年12月12日閲覧。
- ^ 「鶴光、ニッポン放送「オールナイトニッポン」25年間出ずっぱりでオマ!」『読売新聞』読売新聞社、2000年2月9日、東京夕刊、7面。
- ^ a b c 小学館 1978, pp. 34–35
- ^ a b 竹本徳子 (2003年10月21日). “カタログ販売とゼロエミッション” (PDF). ゼロエミッションシンポジウム2003. 国際連合大学. p. 3. 2015年7月25日閲覧。
- ^ a b 毎日新聞社 1980, p. 150
- ^ 「たずね人 お知らせ下さい 山手線、小田急線、井の頭線に出没する謎の“ナンチャッテおじさん”へ」『朝日新聞』朝日新聞社、1978年2月6日、朝刊、23面。
- ^ a b c d e f g 「「ナンチャッテおじさん」私が仕掛け人」『朝日新聞』、1978年3月20日、夕刊、11面。
- ^ 『特捜最前線 BEST SELECTION VOL.9』(DVD)東映ビデオ、2009年10月9日、該当時間: 01:36:24。DRTD07419。
- ^ “特捜最前線(第54回)ナーンチャッテおじさんがいた!”. テレビドラマデータベース. キューズ・クリエイティブ. 2019年5月15日閲覧。
- ^ a b “【編集局から】ラジオから大ブーム!「ナンチャッテおじさん」を流行らせた、かぜ耕士さんのセンス”. Zakzak. 産業経済新聞社 (2020年10月8日). 2020年11月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g 河合 1995, pp. 196–197
- ^ 笑福亭 1977, pp. 30–31
- ^ 笑福亭 1977, pp. 158–159
- ^ a b c 平凡出版 1978a, pp. 119–123
- ^ “Café Crème – Beatles Medley (1978, Vinyl)”. Discogs. 2021年11月20日閲覧。
- ^ 「「蒼竜会」と「全日本なんちゃって同盟」等」『正論』第57号、産業経済新聞社、1978年7月1日、222-223頁、大宅壮一文庫所蔵:200026052。
- ^ 山藤章二『山藤章二のブラック=アングル』 2巻、朝日新聞出版、1980年4月、24-25頁。ISBN 978-4-02-254751-4。
- ^ 丸谷才一、井上ひさし『花のパロディ大全集』朝日新聞出版〈朝日文庫〉、1984年4月、207頁。ISBN 978-4-02-260841-3。
- ^ a b c 村上 1988, p. 47
- ^ 笑福亭 1977, pp. 6–7
- ^ 「戦後名言珍言史 1978年3月20日 ギャグ作家の小森豪人さん」『毎日新聞』毎日新聞社、2000年11月23日、東京朝刊、31面。
- ^ a b “教科書にのらないウラ昭和史”. 伊東家の食卓. 日本テレビ放送網 (2006年12月12日). 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月25日閲覧。
- ^ a b c 平凡出版 1978b, pp. 173–175
- ^ a b 「東京ものがたり「ナンチャッテ」に都会の後ろ姿を残して…」『朝日新聞』、1995年9月19日、東京朝刊、22面。
- 1 なんちゃっておじさんとは
- 2 なんちゃっておじさんの概要
- 3 脚注
ナンチャッテおじさん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/20 09:48 UTC 版)
「憑いてますか」の記事における「ナンチャッテおじさん」の解説
和美の怨念に呼び寄せられた悪霊。怖くない霊No.1で特に害はない。
※この「ナンチャッテおじさん」の解説は、「憑いてますか」の解説の一部です。
「ナンチャッテおじさん」を含む「憑いてますか」の記事については、「憑いてますか」の概要を参照ください。
ナンチャッテおじさん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 22:15 UTC 版)
「たむたむたいむ」の記事における「ナンチャッテおじさん」の解説
1970年代の都市伝説の一つであったナンチャッテおじさんについて書かれたはがきを1977年5月27日の放送で初めて紹介しており、この番組はナンチャッテおじさんのことを最初に紹介した番組とされている。この話を聞いた同じニッポン放送の宮本幸一ディレクターが、当時自身が担当していた『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』を通じて全国的な話題に発展させた。しかしほぼ時期を同じくして『タモリのオールナイトニッポン』でも話題になり始め、両番組の間で『元祖はウチだ』の論争になった。しかしその話題の発端について、放送作家・小森豪人が自分のファンクラブのメンバーに『自分が創作した話を、いかにも自分が目撃したかのように書いて投書するように』と言うようなことを伝えていたというエピソードが『伊東家の食卓』(日本テレビ)で紹介されたことがあった。しかしながら、後日かぜ耕士自身が語っているが、これは実在した女子高生がハガキ投稿した話であり、そのときのペンネームは「さだまさこ」であった。「さだまさこちゃんも、TV出演させられたり、ずいぶん迷惑を掛けちゃったね」と、当時パーソナリティを勤めていたセイヤングで語っていた。なお、投稿内容は、当時のたむたむたいむの機関紙であった「たむたむたいむす」に全文掲載されている。ちなみに当時元祖論争を繰り広げていたタモリは、「『自分が仕組んだ』と言っている放送作家がいるようだが、わざわざ放送作家が作り上げるほどの話ではないし、単なる売名行為だ」と批判していた。
※この「ナンチャッテおじさん」の解説は、「たむたむたいむ」の解説の一部です。
「ナンチャッテおじさん」を含む「たむたむたいむ」の記事については、「たむたむたいむ」の概要を参照ください。
- ナンチャッテおじさんのページへのリンク