ナポレオン・ラジョイとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ナポレオン・ラジョイの意味・解説 

ナップ・ラジョイ

(ナポレオン・ラジョイ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/28 17:56 UTC 版)

ナップ・ラジョイ
Nap Lajoie
1913年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国
ロードアイランド州ウーンソケット
生年月日 1874年9月5日
没年月日 (1959-02-07) 1959年2月7日(84歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手一塁手
初出場 1896年8月12日
最終出場 1916年8月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
殿堂表彰者
選出年 1937年
得票率 83.58%
選出方法 BBWAA選出

ナポレオン・ラジョイNapoleon Lajoie1874年9月5日 - 1959年2月7日)は、アメリカ合衆国ロードアイランド州ウーンソケット出身のプロ野球選手二塁手一塁手)。右投右打。

1900年代から1910年代にメジャーリーグベースボールで活躍し、20世紀初の三冠王。日本のメディアではラジョイと表記される事が多いが、実際はラジャウェイ/ˈlæʒəweɪ/;と呼ばれている。

経歴

1874年9月5日ロードアイランド州ウーンソケットで、8人兄弟の末っ子として生まれた。父はフランス系カナダ人でアメリカに移民しており、バーモント州ラトランドに定住したが、その後ウーンソケットに移った。

父を幼少期に亡くしており、兄弟とともに家族を支えるため働くため 学校を中退。

同時に地元ウーンソケットのセミプロ野球チームにも所属し、両親が野球をすることを認めていなかったため「サンディ」という偽名を使ってプレーをしていた。 

ラジョイの野球の才能の噂が広まると、1試合2ドルから5ドルで他のセミプロチームに助っ人として雇われるようになる。

1896年にニューイングランドリーグのフォールリバー・インディアンズに入団。センター、ファースト、キャッチャーとしてプレーし、80試合で163安打 打率.429 長打率.726を記録。

同年8月9日にチームメイトのフィル・ガイヤーとともにフィラデルフィア・フィリーズと契約。他にもピッツバーグ・パイレーツボストン・ビーンイーターズからもスカウトされていた[1]

3年目の1898年から二塁手として活躍。まだ強引な選手引き抜きが多かった時期に、同じフィラデルフィアアメリカンリーグの球団としてアスレチックスが誕生し、オーナー兼監督のコニー・マックがラジョイと4年2万4000ドルの契約を強引に結び、フィラデルフィア・アスレチックスに移籍した。これは前年のシーズン終了後にフィリーズとの契約更改で年俸2500ドルのラジョイの要求をフィリーズが拒んだため、そこへコニー・マックから破格の金額提示を受けての移籍とされている。

しかしそれに激怒したフィリーズは契約の無効を裁判所に訴えたが、1901年のシーズン中には判決が下りなかったため、この年はフィラデルフィア・アスレチックスでプレーした。

この年にラジョイは打率.426、145得点、232安打、125打点、14本塁打の5項目全てでアメリカンリーグのトップとなった。アメリカンリーグがメジャーリーグ宣言した1901年に近代野球が始まったとすればこれが最初の三冠王である。

1902年のシーズンが開幕してから、ペンシルベニア州の裁判所がアスレチックスとの契約を無効としてラジョイにフィリーズに戻る判決を下した。ここでアメリカンリーグのジョンソン会長とアスレチックスのコニー・マック監督は事態を収拾させるため、アスレチックスとの契約をクリーブランド・ブロンコスに譲渡させ、フィリーズも提訴を取り下げて、この年からクリーブランドでプレーすることになった。そして球団は愛称をブロンコスからラジョイに因んでクリーブランド・ナップスと改称した。

ここからラジョイのクリーブランドにおける活躍が始まった。特に1905年から1916年までの11年間は球聖タイ・カッブとは同じアメリカンリーグでしのぎを削った。

1910年首位打者争いは非常に有名であり、シーズン最終日時点でカッブが509打数196安打で打率.385に対し、ラジョイは打率.376と9厘差。首位打者を確信したカッブは試合を欠場。しかし、ラジョイはセントルイス・ブラウンズ(現:ボルチモア・オリオールズ)戦のダブルヘッダーで9打数8安打(最終591打数227安打で打率.384)、遊撃手失策とされた1打が安打になっていれば逆転で首位打者というところまで迫った。ところがそのうちの7本は三塁へのバント安打で、これは相手チームのセントルイス・ブラウンズの監督ジャック・オコナーが当時人気の高かったラジョイにタイトルを勝ち取らせるために、三塁手に「後ろに下がってプレーしろ」と命じた結果のものだった。しかし、露骨なシフトだったためこの八百長が発覚し、結局、公式な首位打者はカッブとなったものの、首位打者に贈られる賞品のマックスウェル・チャルマーズ社の車は両者に与えられることになった(そのシーズン後にオコナーは監督を解雇され、コーチと共に永久追放されている)。

1981年、スポーティング・ニューズ社により1910年の集計に誤りが指摘され、カッブの成績が509打数196安打ではなく、506打数194安打であるとし、カッブの打率は.385から.383に修正され、シーズン打率は2位に後退した。しかしコミッショナー特別委員会は八百長の影響もあってか、首位打者の変更を認めず、ラジョイはシーズン打率1位でありながら首位打者を逃した選手となった。MLB公式記録でもカッブは509打数196安打で打率.385のままである。

計16シーズンで3割以上を打ち、1917年にマイナーリーグに落ち、インターナショナル・リーグで151試合に出場し打率.380で首位打者となった。42歳での快挙であった。

選手としての特徴

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1896 PHI 39 178 175 36 57 12 7 4 95 42 7 -- 2 -- 1 -- 0 11 -- .326 .330 .543 .872
1897 127 577 545 107 197 40 23 9 310 127 20 -- 5 -- 15 -- 12 25 -- .361 .392 .569 .960
1898 147 641 608 113 197 43 11 6 280 127 25 -- 5 -- 21 -- 7 23 -- .324 .354 .461 .814
1899 77 337 312 70 118 19 9 6 173 70 13 -- 3 -- 12 -- 10 7 -- .378 .419 .554 .974
1900 102 471 451 95 152 33 12 7 230 92 22 -- 2 -- 10 -- 8 8 -- .337 .362 .510 .872
1901 PHA 131 582 544 145 232 48 14 14 350 125 27 -- 1 -- 24 -- 13 9 -- .426 .463 .643 1.106
1902 1 4 4 0 1 0 0 0 1 1 1 -- 0 -- 0 -- 0 0 -- .250 .250 .250 .500
CLE 86 381 348 81 132 35 5 7 198 64 19 -- 8 -- 19 -- 6 7 -- .379 .421 .569 .990
'02計 87 385 352 81 133 35 5 7 199 65 20 -- 8 -- 19 -- 6 7 -- .378 .419 .565 .984
1903 125 525 485 90 167 41 11 7 251 93 21 -- 13 -- 24 -- 3 26 -- .344 .379 .518 .896
1904 140 594 553 92 208 49 15 5 302 102 29 -- 6 -- 27 -- 8 19 -- .376 .413 .546 .959
1905 65 271 249 29 82 12 2 2 104 41 11 -- 3 -- 17 -- 2 8 -- .329 .377 .418 .795
1906 152 655 602 88 214 48 9 0 280 91 20 -- 17 -- 30 -- 6 19 -- .355 .392 .465 .857
1907 137 558 509 53 153 30 6 2 201 63 24 -- 13 -- 30 -- 6 28 -- .301 .347 .395 .742
1908 157 667 581 77 168 32 6 2 218 74 15 -- 30 -- 47 -- 9 20 -- .289 .352 .375 .727
1909 128 521 469 56 152 33 7 1 202 47 13 -- 11 -- 35 -- 6 19 -- .324 .378 .431 .809
1910 159 677 591 94 227 51 7 4 304 76 26 -- 21 -- 60 -- 5 18 -- .384 .445 .514 .960
1911 90 353 315 36 115 20 1 2 143 60 13 -- 8 -- 26 -- 4 15 -- .365 .420 .454 .874
1912 117 500 448 66 165 34 4 0 207 90 18 5 17 -- 28 -- 7 11 -- .368 .414 .462 .876
1913 137 525 465 66 156 25 2 1 188 68 17 -- 12 -- 33 -- 15 17 -- .335 .398 .404 .802
1914 121 468 419 37 108 14 3 0 128 50 14 15 15 -- 32 -- 2 15 -- .258 .313 .305 .619
1915 PHA 129 521 490 40 137 24 5 1 174 61 10 6 15 -- 11 -- 4 16 -- .280 .301 .355 .656
1916 113 455 426 33 105 14 4 2 133 35 15 -- 14 -- 14 -- 1 26 -- .246 .272 .312 .584
MLB:21年 2480 10461 9589 1504 3243 657 163 82 4472 1599 380 26 221 -- 516 -- 134 347 -- .338 .380 .466 .847
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB記録(1901年以降)。

(1901年以降のみ)

タイトル

  • 首位打者:5回(1901年、1902年、1903年、1904年、1910年)※1910年は他の選手を首位打者とする説もある
  • 本塁打王:1回(1901年)
  • 打点王:2回(1901年、1904年)

表彰

記録

  • シーズン歴代最高打率:.426(1901年)
  • 三冠王:1回(1901年)※近代野球初

インディアンス球団記録

  • 通算記録(打率3位・出場試合数2位・打席数2位・打数1位・安打数1位・二塁打2位・塁打数3位・打点3位・単打1位)
  • シーズン記録(安打数3位・単打3位)

脚注

出典

  1. ^ admin. “Nap Lajoie – Society for American Baseball Research” (英語). 2025年3月28日閲覧。

関連項目

外部リンク


ナポレオン・ラジョイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 13:25 UTC 版)

1901年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ナポレオン・ラジョイ」の解説

アメリカンリーグ最初の年に、フィラデルフィア・アスレチックスのナポレオン・ラジョイことナップ・ラジョイ打率得点安打打点本塁打全てアメリカンリーグトップとなった。これはこの1901年近代野球始まったとすれば最初三冠王である。それ以前19世紀には1878年ポール・ハインズ1887年ティップ・オニール1894年ヒュー・ダフィー達成してそれ以来4人目となる。しかし打点1907年から公式に記録されるようになったことで、この4人の三冠王忘れられていた。またこの当時打点本塁打それほど重要視されず、むしろ打率得点安打数を重要視してたとする説と打率打点安打数を重要視してたとする説があり、本塁打ベーブ・ルース以降から注目されたもので、また打点の定義がリーグによって微妙に違い公式記録として出されたのが1907年以後であったことで、当時三冠重みは現在とは全く違っていたことになる。現在では1909年タイ・カッブ近代野球最初三冠王とする説が多いが、一方で1922年のロジャース・ホンスビーの三冠達成近代野球での最初三冠王(打率打点本塁打)である、とする主張もある。それでも1901年のナポレオン・ラジョイのこの記録はあとから振り返ると、8年後の1909年タイ・カッブ打率.377・9本塁打107打点76盗塁記録し3年連続最多安打打点王首位打者加え本塁打王盗塁王獲得し史上ただ一度打撃タイトル制覇当時タイトルでなかったものを含む)を達成し、さらに得点数塁打数出塁率長打率OPS含め合計10部門でリーグトップであったことと比べると、盗塁王にはなれなかったが、4割2分6厘の打率安打数が多く最多二塁打獲得していることを見ると、不滅記録であることには間違いはない。

※この「ナポレオン・ラジョイ」の解説は、「1901年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「ナポレオン・ラジョイ」を含む「1901年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1901年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ナポレオン・ラジョイ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ナポレオン・ラジョイ」の関連用語

ナポレオン・ラジョイのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ナポレオン・ラジョイのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのナップ・ラジョイ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの1901年のメジャーリーグベースボール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS