ナショナルリーグ誕生
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「1876年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ナショナルリーグ誕生」の解説
1871年に最初のプロ野球リーグ全米プロ野球選手協会(ナショナル・アソシエーション、NAPBBP)が創設されたが、1875年になると当時加盟していたシカゴ・ホワイトストッキングスの会長ウィリアム・ハルバートが、協会の規則に違反した形で他の球団(ボストン)から選手の引き抜きにかかったことで、ナショナル・アソシエーションから除名を迫られたことから、それまでにも協会の運営に不満であったハルバートと選手側であったアルバート・スポルディングらが新しい組織の設立を決意した。 1875年12月16~17日にルイビルでの準備会合でセントルイス・ブラウンストッキングス、シンシナティ・レッズ、ルイビル・グレイズの球団代表者らと協議し、ハルバートの新しいプロ野球チームの全国組織を作る提案をこれらのチームも了承し、翌1876年2月2日にニューヨークのグランドセントラルホテルに於いて、この4チームの他にハートフォード・ダークブルース、ボストン・レッドキャップス、ニューヨーク・ミューチュアルズ、フィラデルフィア・アスレチックスが加わり、合計8球団のオーナー及び会長が集まって、ナショナルリーグを創設することが決議された。そしてそれまでの「選手の協会」でなく「球団の連盟」組織とし、加盟金100ドル、加盟の場合の加盟球団の地域権(フランチャイズ権)を認め、都市の人口も7万5千人以下では加われないことも決定した。 さらに「バットの長さは42インチ以内でなくてはならない」「投手板の大きさは4×6フィートとする」など新規則を定め、また野球賭博に関係した選手及び儲けた選手は即刻除名処分にするなど、それまでとかく問題とされた野球界の荒んだ状況をただすことも念頭に、リーグ憲章の第2条に「野球競技を尊敬すべき、名誉あるものとすること」の文言を入れた。 ウィリアム・ハルバートが創設したナショナルリーグは、世界で初めての閉鎖的なプロスポーツ・リーグであり、それまでには無かった組織である。チームには地域的な独占権が付与されるとともに、試合を放棄すれば除名されるという厳しいルールのもとに試合日程の作成が義務付けされて、全球場一律の入場料を設定し、日曜日の試合開催を認めず、飲酒・賭博を禁止し、有給のアンパイヤーを雇うことも決められた。各チームは全米プロ野球選手協会(ナショナル・アソシエーション、NAPBBP)の10倍の年会費100ドルを支払い、3月15日から11月15日の間にチーム相互で10試合(ホーム5試合・アウェー5試合)の合計70試合の開催し、シーズン終了時に最多勝利数のチームが優勝チーム(チャンピオン)となり、ペナント(優勝旗)が授与されるとされた。 ナショナルリーグの初代会長には加盟球団ハートフォード・ダークブルースのオーナーであったモーガン・バークリーが選出されて、シカゴ、セントルイス、シンシナティ、ルイビル、ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、ハートフォードの8球団でスタートした。
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