ドイツ軍の作戦とノルウェー政府の対応
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「ヴェーザー演習作戦」の記事における「ドイツ軍の作戦とノルウェー政府の対応」の解説
詳細は「ノルウェーの戦い」を参照 ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト歩兵大将のXXI軍団傘下の部隊を海軍と空軍の援護のもとにナルヴィク、トロンハイム、ベルゲン、スタパンゲル、クリスチャンサン、オスロに上陸させ、一気にノルウェーを制圧するというものだった。4月6日から8日の間にリューベック、キール、ヴィルヘルムスハーフェンを出港した陸兵を載せたドイツ海軍部隊は、4月7日と8日の夜に、デンマーク=スウェーデン間の水道を通過したが、この動きは両国に観測されており、その情報は、ノルウェー政府にも伝えられた。ドイツ軍の計画は、可能であれば、平和的に進駐することであり、ファルケンホルストは、最初の一発はドイツ側から撃ってはならないと陸軍部隊に指示していた。また、レーダー元帥も、同様に海軍部隊に対して、最初に発砲してはならず、ノルウェー軍の警告射撃は、応射する理由にはならない、と指令していた。 4月8日未明から、明らかに危機を示す多くの情報が寄せられていたにもかかわらず、ノルウェー政府は、迅速な対応が出来なかった。ようやく、4月8日が終わる頃に、ノルウェー南部に限定した部分的動員令を出すことを決めたが、総動員令がラジオ放送を含むあらゆる手段をもちいて伝達するのにくらべて、部分的動員令は郵便で伝達することになっていた。動員令の初日は、4月11日になっていた。 ノルウェー政府は、軍からのドイツ軍が各地域で侵攻を始めている報告を受け、4月9日0200時頃、イギリス大使に、即時の軍事支援を要請するとともに、どのような支援が可能か、午後6時までに回答するよう要請した。 ドイツ公使ブラウアーは、作戦計画で指示されていたとおりの時刻、4月9日0430時に、ノルウェー外務省の図書室にて、ノルウェー外相コートに、ドイツの最後通牒を渡した。その文書には、ノルウェーが自身の中立をイギリスから守れないため、やむを得ず、ドイツ軍は戦争の間だけノルウェーの一部を占領する。ドイツ当局の元でノルウェーの領土と主権は尊重されるが、ノルウェー政府は、放送で国民に抵抗の停止を指示し、軍備をドイツ軍に渡し、ドイツ当局と協力しなければならない。抵抗に対しては、あらゆる手段をもって対抗する、と書いてあった。ノルウェー政府閣僚は、外務省で閣議中だったが、最後通牒を検討した結果、即座に全員一致で、ドイツの要求を拒否した。ノルウェー政府と王家は、その朝、オスロより130km北のハーマルへ移転することになった。
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