トマス 独断主義との対決
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トマス・アクィナスは、アリストテレスのロゴスを中心に認識論・存在論と一体化した真理論とキリスト教的神学を統合した人物であり、真とは思惟と事物の一致であるとして対応説をとる。トマスの生きた時代は、十字軍をきっかけに、アラブ世界との文物を問わない広汎な交流が始まったことにより、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスの異教活動禁止のため、一度は途絶したギリシア哲学の伝統がアラブ世界から西欧に莫大な勢いで流入し、度重なる禁止令にもかかわらず、これをとどめることはできなくなっていた。また、同様に、商業がめざましい勢いで発展し、都市の繁栄による豊かさの中で、イスラム教徒であるとユダヤ教徒であるとキリスト教徒であるとを問わず、大衆が堕落していくという風潮と、これに対する反感が渦巻き、哲学者アリストテレスの註釈家と呼ばれていたアヴィケンナやアヴェロエスとは、キリスト教の真理を弁証する護教家として理論的に対決する必要に迫られていた。また、トマスは、同様に、アビケブロンのみならず多くのユダヤ人思想家とも対決をしなければならなかった。異教徒との対決は懐疑主義との対決というより、(それが異教徒に向くか自身の足元に向くかはともかく)独断主義との対決であった。 トマスは、異教徒であったアリストテレスの真理論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えてキリスト教神学の「宗教的真理」との調和を図ろうとしたのであり、哲学は「神学の婢」(ancilla theologiae)であった。アリストテレスは、すべての存在者の究極の原因である「神」(不動の動者)は質料をもたない純粋形相としていた。しかし、トマスにとって、神は、万物の根源であるが、純粋形相ではあり得なかった。旧約聖書の『出エジプト記』第3章第14節で、神は「私は在りて在るものである」との啓示をモーセに与えているからである。そこで、彼は、アリストテレスの存在論に修正を加え、「存在-本質」(esse-essentia)を加えた。また、アリストテレスは、世界の根源を神と第一質量の二元的に考え、世界を始まりと終わりのない永遠なものとしていた。しかし、トマスにとって、世界は神によって無から創造されたものであった。そこで、彼は、アリストテレスが神を自らを思惟するのみで、他者を認識しないとしていた点を修正し、神は自らと他者をイデアによって認識するとし、世界は第一質量とともに神のみが創造したものとして一元的に把握した。 トマスによれば、魂は不滅であり、人間は、理性によって永遠普遍の神の存在を認識できる(いわゆる宇宙論的証明)。しかし、有限である人間は無限である神の本質を認識することはできず、理性には限界があり、人間が認識できる真理にも限界がある。もっとも、人間は神から「恩寵の光」と「栄光の光」を与えられることによって知性は成長し神を認識できるようになるが、生きている間は恩寵の光のみ与えられるので、人には信仰・愛・希望の導きが必要になる。人は死して初めて「栄光の光」を得て神の本質を完全に認識するものであり、真の幸福が得られる。
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